礼拝説教


2015/2/22 −受難節第1主日礼拝−

「永遠なる方による人生の完成」 

ヘブライ人への手紙13:8
協力牧師 中野 実

 
◇福音の中心は、神の無条件の恵みである。万物の創り主なる神の御心を傷つけている私たちであるにもかかわらず、無条件に恵んでくださる神の愛はイエス・キリストのうちに完全に現わされた。

◇私たちは人間として創られたにもかかわらず、神を忘れ、真の人間として歩んでこなかった。しかし、神の恵みを知った者は神に創られた本来の自分を回復し、それを生き始める。神の無条件の恵みのうちを歩むとは、私たちも無条件に恵みに頼ることである。

◇真の人間として生きるために私たちは洗礼を受けなければならない。洗礼とは、本来の自分に新しく生まれ変わること。洗礼を受けるとは「キリストのもの」となることである。私たちが本当の人間となるために、真の神であられるキリストが真の人となられた。

◇私たちの人生に完成はあるのか?年をとるという事は、未完成のままに人生を受容するプロセスである。未完成なままで人生を受容することは、私たちが目を高く挙げた時に可能となる。永遠なる方であるにもかかわらず、有限な私たちの世界に来て下さったイエス・キリストに目を向ける時、有限で未完成な私たちの人生は全く新しく見え始める。

◇イエス・キリストは、信仰の先導者であり完成者である。すべてのことを始められるのも、それに終止符を打たれるのも神の御業。自分で自分の人生を始めた人は誰もいない。そうだとすれば、人生の完成も自分のものではなく、神のものである。人生の先導者、完成者であるイエス・キリストがそれを成し遂げて下さる。人生の完成は神のもの、御子イエス・キリストが成し遂げて下さるもの。私たちの目からすれば、自分の人生は未完成のまま。しかし、イエス・キリストは私たちの人生を完成させる歩みをすでに歩み切ってくださった。それ故、私たちはただ無条件にその方の恵みにまかせ、頼るのである。
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