礼拝説教


2015/1/4 新年礼拝

「見るべきものを見てから」

ルカによる福音書2:22〜40
主任牧師 大村 栄

 
◇ヨセフとマリヤの夫妻は「23:主の律法」に従って「22:幼な子を主に献げるため」に宮詣でに来た。そこで二人の老人に出合う。一人はシメオン。彼は「25:正しい人で信仰があつく、イスラエルの慰められるのを待ち望」んでいた。もう一人の女預言者アンナも長く神に仕えてきた婦人だった。彼らは神が預言者を通して約束して下さったイスラエルの救いを見届けるまでは死ねないと思っていた。

◇シメオンは待ちに待った幼子イエスを腕に抱いて、「29:主よ、今こそあなたは、お言葉通り、この僕を安らかに去らせてくださいます。30:わたしはこの目であなたの救いを見たからです」と主を賛美する。信じて待った約束の実現を見たから、安心して身を引くことが出来ると言うのだ。「シメオンの讃歌は、その時間が終わり、交替時間が来たところの忠実な歩哨の言葉だ」(カール・バルト)。

◇2章前半では「8:夜通し羊の群れの番をしていた」羊飼いたちに、天使が「11:今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである」と告げた。それを信じて出掛けていった羊飼いたちは、「20:見聞きしたことがすべて天使の話したとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った」。このひと夜の出来事に留まらず、生涯のすべてが神様の約束通りだったと知って、神を賛美しながら天国へと帰っていくものでありたい。偽物のために生涯をかけることはしたくない(例・モーパッサンの短編小説『首飾り』)。

◇色んなことを考えると安心して死ねないと考えるのは、見るべきものを見ていないからだ。クリスマスは神の約束は真実であることのしるしだ。それを見届けたなら、神にすべてをお任せしておけば良い。独り子を下さった神の愛に信頼し、安心して故郷に帰って行ける、そういう信仰と感謝をもって、今年の歩みにご一緒に踏み出していきたい。

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