礼拝説教


2014/12/28 歳末礼拝

「悲劇を越えて」

マタイによる福音書2:13~23
伝道師 堀川樹

 
◇今日の箇所はクリスマスに神の御子が来られたこの世の現実が闇であったと告げられている。当時のユダヤの王へロデの命令によってベツレヘムとその周辺の2歳以下の男の子が殺されたという悲劇が記されているのだ。

◇なぜこのような幼児虐殺の悲劇が起こってしまったのか。それはヘロデが、新たなユダヤ人の王と預言されて生まれた幼子イエスを殺そうとしたからに他ならない。私たちはここでヘロデをひどい奴だと非難する。だが、私たちにはヘロデと同じところがあると心に留めたい。それは罪があるということにおいては誰しも変わらないのである。このヘロデを私たちの罪の姿として聖書は描いている。

◇ではこの罪とは何なのか。それはヘロデが幼児を殺したその残虐な行いの事ではなく、自分の思いや考えに背く者は肉親でも、子どもであろうとも排除するようなこと。幼児を虐殺した行いの根、根本にあるものが罪であり、残虐な行いはその結果なのである。私たちもそのような心がありのではないか。

◇神はそんな悲しみと罪の現実にある民、私たちに向かってそれがたとえどんな暗闇や苦しみでも「あなたの未来には希望がある」(エレミヤ31:17)と語りかける。そして神と人とが特別な絆で結ばれ、罪の赦しを得させる新しい契約を結ぶと宣言なさるのだ。これを実現してくださったのが私たちの主イエス・キリストなのである。このキリストによって私たちの罪は赦され、私たちの涙はいつでもぬぐわれる。苦しみからも救い出される。これがクリスマスの意味であり希望である。

◇だから私たちは喜びも悲しみもすべてのことを主にお委ねしたい。悲劇を越えて新しい契約の実現として、神の愛の結実としての主イエス・キリスト。これから始まる2015年もこの主に従い、阿佐ヶ谷教会も連なる私たち一人一人も主イエスに生かされつつ、この世にあって力強く旅を続けて行こう。

(C) Asagaya Church, United Church of Christ in Japan, asagaya-church.com