礼拝説教


2014/12/7 待降節第2主日礼拝

「互いに相手を受け入れなさい」

ローマの信徒への手紙15:1~13
主任牧師 大村  栄

 
◇「1:わたしたち強い者は、強くない者たちの弱さを担うべきであり、自分の満足を求めるべきではありません」。自己満足を追求して空しく一生を過ごすのではなく、「2:おのおの善を行って隣人を喜ばせ」よう。主イエスも言われた。「最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである」(マタイ25:40)。弱い人、小さい人を喜ばせることが、神に喜ばれ、キリストに従う道なのだ。

◇神の子という最も「強い者」である方が、私たち人間の罪を肩代りして十字架につき、「強くない者たちの弱さを担」って下さった。これが神が長い忍耐の末に選んだ、人類救済の方法だ。キリストはその神の意志に、「十字架の死に至るまで従順」(フィリピ2:8)だった。この神の忍耐とキリストの従順を通して、「4:わたしたちは、聖書から忍耐と慰めを学んで希望を持ち続けることができる」のである。

◇そして「7:キリストがあなたがたを受けいれてくださったように、あなたがたも互いに相手を受けいれなさい」。神に受け入れられたことを感謝するだけでなく、キリストにならって私たちも互い受け入れ合うべきである。

◇しかしどうしても受け入れ難いことに対しては、心を閉じて自分を防衛しようにする。「もしキリストがそのようになさったとしたら、一体誰が救われたであろうか」(ボンヘッファー『共に生きる生活』のルターの言葉)。

◇あこや貝は自分の柔らかい肉の中に固い石を無理に入れられ、その痛みのために流す涙が石を真珠にすると言う。私たちが人を受け入れる時にも痛みがある。しかしそこに、キリストに従う道があるのだ。

◇だが主イエスも宮清めをされた。ボンヘッファーはヒトラーへの抵抗運動に参加した。本当に人を受け入れて、相手を生かすためには、変革の勇気も必要なのだろう。

◇キリストに従い、十字架の道を歩む私たちに、真珠の輝きにもまさる信仰の実りと、祝福への道が開かれる。それこそが私たちが生涯をかけて悔いない真の希望であり、目標である。それを仰ぐアドベントでありたい。

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