礼拝説教


2014/11/16 降誕前第6主日礼拝

「冷笑から喜びの笑いへ」

創世記18:1~15
主任牧師 大村  栄

 
◇アブラハム夫妻には、長いこと子供がなかった。ある日彼らの三人の旅人が天幕を訪れた。それは主なる神だった。来年の今頃には「10:あなたの妻のサラに男の子が生まれているでしょう」と言うのを聞いたサラは「12:ひそかに笑った」。自分も夫も年を取りすぎていて無理だ、と冷めた笑いをしたのだ。

◇だが21章で約束通りサラに息子が生まれ、神に命じられた通りイサクと名付けた。サラは言った、「6:神はわたしに笑いをお与えになった。聞く者は皆、わたしと笑い(イサク)を共にしてくれるでしょう」。二人の冷笑は喜びの笑いに変えられた。現実の厳しさを前にして、冷笑せずにおれないような時にも、神の救いの計画を信じて待つこと、それが信仰に生きるということである。

◇アブラハムは客人を神だと知っていた訳ではないが、懇ろにもてなした。念願の男児誕生が実現したのは、彼らがこの突然の訪問を迎え入れたからなのかも知れない。神の働きかけや呼びかけは、私たちの予想や期待に反して行われる。主がアブラハムに現れたのは「2:三人の人」の姿だったというのは、わざと普通の旅人のように見せたのだろう。

◇主は必ず来られる。「終末」の時にだけでなく、私たちの日常の中に主は来られる。そして思いもかけない方法で語りかけ、働きかけ、私たちを用いて御業を現そうとされる。

◇「地震は必ず、突然きます」と書かれた看板にドキッとした。神の到来も「必ず、突然きます」。だから私たちはアブラハムがそうしたように、主を迎える備えをしていよう。日常の出会いの中にある思いがけない主の働きかけを聞き分け、見分ける者でありたい。

◇主の到来を迎えた時にきっと、失望と冷笑を重ねている現実から、神による未来の可能性が開かれて、喜びの笑いが沸き上がるような事態を迎えるだろう。それを信じて待つ信仰生活を過ごそう。

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