礼拝説教


2014/10/12 聖霊降臨節第18主日礼拝

「神の恵みとその管理」

ペトロの手紙一 4:1~11
名誉牧師 大宮  溥

 
◇ペトロの手紙Ⅰは紀元90年ごろ記された。初代教会に襲いかかる迫害の中で、キリスト者の踏み出す道を教え、4章冒頭では信徒たちに信仰の「武装」を勧めている(1~2節)。アウグスティヌスは『神国論』において世界の歴史を「神の国」と「地の国」の戦いとして描く。「神の国」は神を第一とする人たちの共同体であり、「地の国」は自己愛に基づき、自己の拡大を求める人たちの集団である。この神の国の土台を築かれたのがキリストであるがまだ完成しない。そのため神の国民であるキリスト者は、十字架の主にならい武装して生きる。

◇この戦いはどこまでも続くのではなく、「万物の終り」(7節)、終末における神の国の完成に向かっている。世界の歴史は「神の国への巡礼」(WCCメッセージ)である。世の人々はそれを知らないが、キリスト者はそれを知っているので、神の国の市民としての生活を築いてゆくのである(7~9節)。その第1は「祈り」。時が良くても悪くても沈着冷静にまず祈る。第2は「愛」。その愛は、「もてなす」という具体的な行為となって表れる。こうして敬天愛人の協同体としての神の国を築いてゆく。

◇「あなたがたはそれぞれ、賜物を授かっているのですから、神のさまざまな恵みの善い管理者として、その賜物を生かして互いに仕えなさい」(10節)。「賜物(カリスマ)」は、神の「恵み(カリス)」が教会にあふれ、それが一人一人に分与されたもの。ここで教会は「信徒の共同体」として理解されている。「信徒」は「レイマン」の訳でかつては「平信徒」などと呼ばれ、教師より低い位置のものと考えられていたが、本来は「レイ」とは「ラオス」(民)、「神の民」を意味し、これが教職と信徒を一つにした教会の本来の姿である。そして信徒は一人残らず「御霊の実」(ガラテヤ5:22)としての「賜物」を与えられている。これまでの教会でこのような信徒が「凍結財産」(H・クレーマー)になっているのを、改めて活性化させようとしたのが「信徒論」である。

◇教会はキリストの体であり信徒はその肢体であるから、信徒は「神の恵みの善い管理者」でなければならない。「それは、すべてのことにおいて、イエス・キリストを通して、神が栄光をお受けになるためです。栄光と力とが、世々限りなく神にありますように。アーメン」(11節)。
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