礼拝説教


2014/8/3 聖霊降臨節第9主日礼拝

「信仰のないわたし」

マルコによる福音書9:14~29
 主任牧師 大村  栄

 
◇悪霊に取りつかれて口のきけなくなる病(おそらく重いてんかん)を患う息子を、癒してもらいたいと連れてきた父親は主イエスに、「22:おできになるなら、わたしどもを憐れんでお助けください」と願う。これに対して主は、「23:『できれば』と言うか。信じる者には何でもできる」と言われ、父親はこれに応じて、「24:信じます。信仰のないわたしをお助けください」と叫んだ。

◇「信じる者には何でもできる」の「何でも」には、何よりまず主イエスへの完全な信頼を持つ者に変えられるということがある。「信仰のないわたし」を自覚し、しかしそこから信仰へと導かれる。これがキリスト者に与えられる恵みである。

◇最後に主は、「29:この種のものは、祈りによらなければ決して追い出すことはできないのだ」と言われた。祈りには悪霊を追い出す力があると言っているのではない。主イエスの教える「主の祈り」では「御心(神のご意志)が行われますように」と祈るごとく、祈りは自らの意志を神のご意志に従わせるための作業である。

◇子供メッセージで語ったダビデとゴリアトの戦いの箇所(サムエル記上17章)で、ダビデは「47:この戦いは主のものだ」と言って巨人に向かって行った。天地創造以来、世界を支配したもう神の勝利に私たちも連なり、「御心が行われますように」と祈りつつ、神の勝利の跡をなぞるのだ。

◇敵は神を神と認めないあらゆる勢力である。それらは周囲から迫ってくるだけでなく、私たちの内側に生ずる疑いや不安や恐れなどでもある。

◇それら神の御心を阻む様々な勢力が罪であり、罪の支配の象徴が死である。だが復活の主イエスはこの死に勝利された。「あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている」(ヨハネ16:33)。ひとり子イエスを賜るほどに世を愛された神の勝利によって、私たちの勝利も約束されている。

◇ダビデが「47:この戦いは主のものだ」と言ったように、私たちはただ、神の戦いのあとをたどり、勝利のあとをなぞればいいのである。

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