礼拝説教


2014/7/13 聖霊降臨節第6主日礼拝

「執り成す者として」

マタイによる福音書9:1~8
 伝道師 堀川 樹

 
◇子どもにも親しまれている「中風の人をいやす」という物語。中風の人が友人によって家の屋根をはがして床ごと運ばれてくる。屋根をはがしてまでキリストのもとに連れてくるこのユニークな姿が印象深く残る物語。しかしこのマタイの聖書箇所に屋根をはがしたという記事はない。それはキリストによる罪の赦しの権威に私たちの目を向けさせようとするからである。

◇マタイの特徴的な言葉は8節にもある。「群衆はこれを見て恐ろしくなり、人間にこれほどの権威をゆだねられた神を賛美した」ここで「人間」という単語は複数形で記されている。つまりキリストだけのことではなく、教会にそして連なる私たち一人一人のことを指している。罪の赦しの権威は教会に、私たちに委ねられているのである。

◇この時キリストは中風の人に「子よ、元気を出しなさい。あなたの罪は赦される」(2節)と宣言された。しかもこの「罪」という言葉も複数形。私たちは日々罪を犯し、罪に罪を重ねており、教会で自分のもろもろの罪と向き合う。しかし教会は互いに罪を嘆き合うのではなく、裁き合うのでもない。私たちは「あなたの罪は赦される」と宣言なさるキリストの言葉を受け取り、祝福の内に歩み出すのである。私たちの希望がここにある。

◇この罪の赦しによる神様との交わりの回復は主イエスが私たちの罪を背負って苦しみを受け、十字架によって命を投げ出したことで実現した。キリストが私たちのために執り成してくださった。私たちは罪赦され、執り成された者である。だからこそ委ねられたこの権威を全ての人の救いのために用いたい。私たちは弱い存在であり、私たちの力で、「あなたの罪は赦される」などと言える者ではないし、人の病を癒すことの出来る者でもない。けれども私たちは礼拝毎に「子よ、あなたの罪は赦される」との宣言を受け、神さまとの交わりにあることを確認する。そして中風の人をキリストのもとに運んできた友人のように、私たちも隣人をキリストのもとへと連れてくるようにと、執り成す者として生きるようにと導かれていく。
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