礼拝説教


2014/6/15 特別伝道礼拝

「幸いなるかな」

マタイ福音書5:1~10
主任牧師 大村  栄

 
◇「まことのしあわせ」という題で山浦玄嗣さんのお話しを聞いた。マタイ福音書5:3「心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである」を、山浦氏は、「頼りなく。望みなく、心細い人は幸せだ。神さまの懐にシッカリと抱かれるのはこの人びとだ」と訳した。

◇聖書の他の箇所から「幸い、幸せ」について、さらに聞きたい。礼拝の招詞で読んだエレミヤ書6:16「さまざまな道に立って、眺めよ。昔からの道に問いかけてみよ。どれが、幸いに至る道か、と。その道を歩み、魂に安らぎを得よ」。幸せを求め、魂の安らぎを求める試行錯誤の中で、人は様々な道に問いかける。この道だと信じるものが見えた時に「その道を歩み、魂に安らぎを得よ」と言われる。そんな求道の旅のことを「巡礼」と呼ぶ。交読した詩編84は「巡礼の歌」である。

◇「いかに幸いなことでしょう/あなたの家に住むことができるなら/まして、あなたを賛美することができるなら」(84:5)。神の家を慕い、そこでの礼拝の喜びと、それへの期待を歌っている。その熱い思いを実行に移すのが「巡礼」である。

◇祈祷会で毎週学んでいる申命記、先週は16章からイスラエルの「三大祝祭日」について学んだ。過越祭、七週祭(五旬祭)、仮庵祭の三つで、その時には全国からエルサレムの神殿に巡礼団が集まる。それらの祝祭日の原点は、七日に一度の安息日にある。私たちの祝祭日は主日(日曜日)だ。

◇そして私たちの神殿は教会。そこでの礼拝を重ねる日々は、まさに真の「幸いに至る道」を模索する巡礼の旅であり、「その道を歩み、魂に安らぎを得よ」と私たちは招かれている。阿佐ヶ谷教会90年の歴史の中で、そういう思いで教会に仕え、神に仕えて生きた方たちがおられた。

◇詩編84:6-7「いかに幸いなことでしょう/あなたによって勇気を出し/心に広い道を見ている人は。嘆きの谷を通るときも、そこを泉とするでしょう」。「心に広い道を見る」とは、巡礼の旅路の中で天国への希望を見ていくことである。皆さんとご一緒に、幸いな巡礼の旅を続けたい。 <
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