礼拝説教


2014/5/4  復活節第3主日

「見えないものに目を注ぐ」

コリントの信徒への手紙二 4:7~18
主任牧師 大村  栄

 
◇「夜と霧」の著者フランクルはナチス・ドイツのアウシュヴィッツ収容所に収容されたユダヤ人精神医学者。長く極限状態の中にいる内に囚人たちの精神状態が、「人間らしさを失い、劣等化し」ていき、「文化的な冬眠」状態に落ち込んでいくのを彼は見た。しかし「内面的な拠り所」を持つ人は、最後までそうならなかった。彼の言う「内面的な拠り所」を持つ人とは、夕焼け空を見上げて「美しいなあ」とつぶやける人、野の草花に話しかける人などだ。手に届かないもの、目に見えないものに心を向ける人が、最後まで人間性を維持した。

◇「18:わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます」。この世界は人間の利益を引き出すためだけの世界ではなく、背後に神の大いなる支配があって、世界を神の目的に向かって導いている。そういう「見えないもの」を見る視力を養われたいものだ。

◇人間は「神との応答関係」に生きる者として創造された。そのための賜物として知性、感性などを与えられた。優れた芸術や高度の科学技術はみな、「神との応答関係」に生きるために用いられる時に最高の輝きを発する(日本基督教団「東日本大震災国際会議」3/11-14の「宣言文」参照)。

◇それらの賜物を我が物として独占し、人間のためだけに用いるようになってしまった時の危険性を、私たちは思い知らされた。もう一度私たちは「神との応答関係」という「見えないものに目を注」ぐ視力を取り戻したい。その視力は「信仰」と言い換えられる。「信仰によって、わたしたちは、この世界が神の言葉によって創造され、従って見えるものは、目に見えているものからできたのではないことが分かるのです」(ヘブライ書11:3)。

◇大切なものを見る霊的視力は、主の日ごとの礼拝において、また信仰生活の祈りにおいて、私たちに回復されるのである。「心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。かんじんなことは、目に見えないんだよ」(サン・テグジュペリ著『星の王子さま』より)。の国への巡礼の旅が世界の歴史である。教会は灯台であって、その間をキリストが歩まれ(2:1)、その光に照らされて世界が巡礼の旅を進めるのである。教会はその先頭に立って、宣教と奉仕の歩みを進めるのである。



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