礼拝説教


2014/3/30  受難節第4主日礼拝

「人生の目的」

マルコによる福音書10:32~45
主任牧師 大村  栄

 
◇主イエスが受難の予告を三度も繰り返されたのは、弟子たち以上にご自分に言い聞かせるためだったのではないか。主イエスが受難の運命を本当に自分が引き受ける覚悟をしたのは、ゲッセマネの祈りにおいてだったと思う。「この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしが願うことではなく、御心に適うことが行われますように」(マルコ14:36)。主イエスは、神からの使命を受けて悩み苦しみ、祈りにおいて繰り返し問いかけ、遂にその覚悟に到達されたのだ。

◇そういう主イエスの真剣さに比べて、我々人間がいかに浅薄かということが、後半の「ヤコブとヨハネの願い」に示されている。彼ら「37:栄光をお受けになるとき、わたしどもの一人をあなたの右に、もう一人を左に座らせてください」と要望した。地上の立身出世の道を捨てた彼らだろうが、死後の世界に同じ夢を抱いている。

◇「43:あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、44:いちばん上になりたい者は、すべての人の僕になりなさい」。「仕える」とは、聖書では食卓の給仕をすること。食事を供することによって、人をいかし養う仕事である。

◇誰よりも徹底して仕えた方が、十字架の主イエスだった。「45:人の子は仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのである」。私たちはキリストに仕えるがゆえに、そのキリストが仕えたもうた世に仕え、キリストが生かしたもう人をいかす働きに参加していくのだ。

◇創立90周年記念誌の副題を『神と人とに仕えて』と付けた。今日は午後に90周年記念の音楽集会「標語の歌この10年」を開く。交読した詩編27:1「主はわたしの光、わたしの救い。わたしは誰を恐れよう」。招詞に読んだ?コリント10:31「すべて神の栄光を現すためにしなさい」。それぞれかつて教会標語に選ばれた聖句だった。

◇「神と人とに仕えて」生きる教会と私たち。主のみを主として、神の栄光のために歩みたい。ここに真の豊かさがあることを証しよう。

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