礼拝説教


2014/3/23 受難節第3主日礼拝

「キリストの覚悟」

ルカによる福音書9:57~62
神学生 關橋 賢

 
◇今日の聖書箇所は、主イエスがエルサレムへ行って受難を受け十字架につけられる覚悟を固め、出発した矢先に起こった出来事を描いている。少し前の51節で、「イエスが天に上げられる日が近づいたので、エルサレムへ行こうと決意して、その方へ顔をむけられ」たと記されている(口語訳)。ただ心の内で決意したのではなく、姿勢も体も実際にその方向へ向かった。この言葉は主イエスの並々ならない覚悟を表現している。

◇続いて三人の人と主イエスとのやり取りが記されている。二人目の人は、「主よ、まず父を葬りに行かせてください」と応えた。当時のユダヤ教文化では、死者を葬ることは祭儀的な義務の何よりも優先されていた。これに対する主イエスの言葉は「死んでいる者たちに自分たちの死者を葬らせなさい。あなたは行って、神の国を言い広めなさい」であった。この対話は二つの事を示している。一つ目は、従うことに留保や条件を付けるという態度とそれに対する主イエスの戒めである。二つ目は、死者の葬りの義務よりも、神の国を言い広めることが優先するという、新しい義務の提示である。さらには、「時間的余裕ができたら、従います」ではなく、「今、従います」という姿勢が大事だと聖書は語っている。

◇三人目の人とのやりとりの中で主イエスは「鋤に手をかけてから後ろを顧みる者は、神の国にふさわしくない」と言われた。先行き不安であっても、今、目の前に与えられている事柄に直ぐに取り組む姿勢も求められている。

◇求められることは多いように思われるが、主イエスは、人間としてこの地上を歩まれた故に、私たちの覚悟の小ささ、人間的な弱さをよく知っておられる。そして、大いなる覚悟をもってわたしたちのために、エルサレムへの道をまっすぐに進まれた。主イエスの十字架の恵みを思うとき、この聖書箇所が、律法的な言葉や戒めとしてではなく、神の憐れみと恵みとして受けとれるようになる。そしてその先にある主イエスの復活とその後の豊かな収穫をみつめることができる。

(C) Asagaya Church, United Church of Christ in Japan, asagaya-church.com