礼拝説教


2014/3/2 降誕節第10主日礼拝

「涙と共に種を蒔く人」

マルコ福音書4:1~20
主任牧師 大村  栄

 
◇種が蒔かれる地面には4タイプがある。「3:道端」とは堅い土地(心)。「5:石だらけ」は表面にだけ浅く積もった土。「7:茨の中」は種の成長を阻害する誘惑。「良い土地」に落ちる種もあるが、確率は四分の一だ。福音の種蒔きの困難さを思う。

◇交読した詩編126はバビロン捕囚からの帰還という喜びを歌う。「1:主がシオンの捕われ人を連れ帰られると聞いて、わたしたちは夢を見ている人のようになった。…4:主よ、ネゲブに川の流れを導くかのように、わたしたちの捕われ人を連れ帰ってください」。不可能と思っていたバビロンからの解放が、主によって実現する。灼熱のネゲブ砂漠に水があふれるような大奇跡が実現する。

◇しかしそれに先だって涙が流される。「5:涙と共に種を蒔く人は/喜びの歌と共に刈り入れる」。蒔かれた種が土に埋没するのは埋葬に似ている。招詞に読んだ主イエスの言葉「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ」(ヨハネ12:24)。地に蒔かれ、土に埋まって初めて一粒の麦は生命力を発揮する。主イエスはこの言葉によって、神の意志に従う決意を表明した。それが真の命の道だ。

◇逆に自己中心に生きる人は、むしろ本当の命の道を見失う。「自分の命を愛する者は、それを失うが、この世で自分の命を憎む人は、それを保って永遠の命に至る」(ヨハネ12:25)。この私に対して、神が責任を持って下さると信じる者は、すべてを捨てて、神に委ねることができる。その時に「25:永遠の命」を生きる者とされるのだ。

◇来週から教会暦は「受難節」に入る。キリストのご受難は、一粒の種が死んで多くの実を結ばせるためだったことを覚えよう。一粒の麦なるキリストの死と復活によって「5:涙と共に種を蒔く人は/喜びの歌と共に刈り入れる」という奇跡が可能となったことを信じ、その希望を宣べ伝える伝道の種蒔きを続ける教会でありたい。

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