礼拝説教


2014/1/26  降誕節第5主日礼拝

「向きを変える勇気」

申命記1:34~46
主任牧師 大村  栄

 
◇エジプトを出て、故郷カナンに向かってシナイの荒れ野を40年間旅をするイスラエルの民。 ホレブ(シナイ半島南端のシナイ山)まで南下した民に神は言われた。「あなたたちは既に久しく この山に留まっている。7:向きを変えて出発し、アモリ人の山地に行き…」。神は目的地以外の 地に長く定住することを許さない。向きを変えて北上せよと命じられた。民は「19:広くて恐ろ しい荒れ野」を通って「カデシュ・バルネアまで来た」。

◇しかし偵察隊の報告を聞いて不安に駆られて立ち止まり、「27:天幕にとどまって不平を言い合った」。その民に主は憤って命じられた、「40:あなたたちは向きを変え、…荒れ野に向けて出発しなさい」。民は荒れ野に帰ることを恐れて、反省の言葉を述べる。「41:我々は主に対して罪を犯しました。我々は攻め上って、…主が命じられたように戦います」。ごめんなさい。今度はちゃんと進みますとばかり、「めいめい武器を携え、安易に考えて山地へ上って行こうとした」。しかし「43:主の命令に背き、傲慢にも山地へ上って行った」この民は先住民の反撃を受けて大敗した。

◇反省したなら命令の通り「40:向きを変え」るべきだった。彼らが神に背いたのはあの「19:広くて恐ろしい荒れ野」に戻るのを嫌ったからだろうが、神に逆う勝前進の結果は大敗北となった。

◇信仰者の生涯には、神の指示に従って自分の向きを変えることがある。生き方の向きを神に向かって変えることを、新約聖書は「悔い改め」と呼ぶ。悔い改めて荒れ野での生活に戻った後に、民には再び「北に向かって行きなさい」(2:3)との命令が下された。今度は主が共にいて下さる。本当の前進は、向きを変えることを恐れず、勇気をもって主に委ねる時にこそ前進と言えるのだ。

◇その向くべき方向は祈りにおいて示される。示される道を歩む一年でありたい。祈りの生活を養われる毎週の祈祷会を、今年は大切にしよう。

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