礼拝説教


2013/12/15  待降節第3主日礼拝

「天のとびらが開く時」

マルコによる福音書1:1~11
主任牧師 大村  栄

 
◇マルコは「1:神の子イエス・キリストの福音の初め」を洗礼者ヨハネとの出会いから語り始める。「2:見よ、わたしはあなたより先に使者を遣わし、あなたの道を準備させよう」。ヨハネはイザヤ書40章が預言した「使者」であった。

◇そして登場したイエスはヨハネの前にひざまずき、彼からバプテスマを受けたいと望む。神の子が罪を悔い改める必要があったのか。主はあくまで人の子として、民衆と共にバプテスマを受けられたのだ。私たちがひざまづいて受洗する時、その傍らに主イエスが共におられる。

◇それに対して神は、「11:あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」と評価された。それに先立って「10:天が裂けた」。讃美歌102「もろびと声あげ喜びたたえよ。あめのとびら今しも開かれ…」。天国の扉を開き、そこへの道を示すために来られたのが神の子イエスだ。

◇12月4日、私は今年も府中刑務所で受刑者のクリスマス礼拝で説教をした。寒い体育館の中央を横断するかたちで、人の背ほどの高さのフェンスが立てられている。100名ほどの受刑者が着席するとフェンスが左右に取り払われる。すると後方に、さらに100人くらいの受刑者が着席している。そのフェンスの意味を刑務官に問うと、暴力団の組同士の対立が刑務所内でもトラブルになるので、フェンスを置いて視線が合わさらないようにしているとのことだった。

◇しかし着席して、前を向いてからは大丈夫。皆で同じ正面を向いて、そこから語られるクリスマスのメッセージを聞いている間は、対立と敵意の象徴であるフェンスはいらない。キリストの到来と共に「天が裂け」たのは、天と地の対立が和解し、ひとつとなったことを示す。

◇「3:主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ」。キリストを信じる信仰によって、世界と人生の荒れ地に、神に向かう真っ直ぐな道が開かれ、未来への希望の道が伸ばされた。それがクリスマスに始まった、「1:神の子イエス・キリストの福音」にほかならない。

(C) Asagaya Church, United Church of Christ in Japan, asagaya-church.com