礼拝説教


2013/12/1  待降節第1主日礼拝

「平行線に耐える信仰」

テサロニケの信徒への手紙一5:1~11

 

主任牧師 大村 栄


◇アドベントはクリスマスに備える時であると共に、世の終わりに再び到来される主イエスを待つ準備をする時。その日に神は「イエスを信じて眠りについた人たちをも、イエスと一緒に導き出してくださいます」(?テサロニケ4:13、火葬前式の式文)。主の復活を信じる者は、主と共に新しい命を生きる者とされると告げる。

◇「2:盗人が夜やって来るように、主の日は来る」。その日は予告なしに突然やって来る。ただし神は盗人ではなく愛の神。世界を滅ぼすためにではなく、完成させるために来るのだ。

◇「4:兄弟たち、あなたがたは暗闇の中にいるのではありません」。暗闇のように見える事態の中にあっても、終わりの日は光の到来として実現する。だからそれを信じ、先取りして「5:光の子、昼の子」として目覚めよと語る。

◇讃美歌21-236「見張りの人よ、夜明けはまだか。いつまで続くこの闇の夜は。旅行く人よ、東の空にあけの明星ひかり輝く」。闇夜が続くような状況でも、キリスト者は、朝が近いことを知っている。明けの明星を見ることが出来るから、希望を持って歩むことが出来る。

◇こういう信仰を「終末論」という。終末論が重視されるのは不安定な時代に多い。我が国でも1918(大正7)年頃に終末論が盛んになり、内村鑑三が「再臨待望運動」を展開した。それは熱狂的な運動だったと言われる。再臨信仰の本質は、救いの約束を信じて待つことだ。

◇神がキリストにおいてなされた救いの約束が本当に実現する時を、私たちは待ち望みたい。熱狂的にではなく、または厭世的にでもなく、待つことこと自体が喜びであり、希望であるという信仰を生きたい。どこまでも交わらない二本の線路のような平行線であっても、その事態に耐え続けられるのが、聖書の告げる本当の再臨信仰による希望である。

◇「見張りの人よ、あの星こそが約束された時のしるしか。旅ゆく人よ、暗いこの世に平和を告げる夜明けは近い」。

(C) Asagaya Church, United Church of Christ in Japan, asagaya-church.com