礼拝説教


2013/11/24  降誕前第5主日<謝恩日>礼拝

「ダビデの苦悩」

サムエル記上29:1~11

 

主任牧師 大村 栄


◇ダビデはサウル王に命を狙われて逃亡し、逃げ場所を失って敵国ペリシテのガトの王アキシュの許に身を寄せた。やがてペリシテとイスラエルが総力戦を開始する時が来たが、ペリシテの武将たちはダビデに不信を抱き、アキシュは彼にイスラエルに帰るよう告げる。しかしダビデは祖国に帰ればサウル王に殺される。身の置き所がない状態だ。

◇交読した詩編102:8「屋根の上にひとりいる鳥のように、わたしは目覚めている」。これについてルターが解説している。「この世という家の中で眠ることもできず、天に昇ることも出来ず、屋根の上にひとりいる鳥のように目覚めている」。信仰者の体験する孤立感がここにある。信仰の極みに到達することも出来ず、かといって地上の豊かさだけを追い求める気にもなれない。そういう宙に浮かんだ状態、自分の所属するところ、帰属するところを確信できない悩みはダビデのそれに共通している。

◇「ハイデルベルク信仰問答」の第一の問いと答え。「生きる時も、死ぬ時も、あなたのただ一つの慰めは、何ですか」。「わたしがわたし自身のものではなく、身も魂も、生きる時も死ぬ時も、わたしの真実なる救い主イエス・キリストのものであることです」。ここに私たちの真に帰属するところが示される。

◇私たちは神に造られた神のもの、キリストのものだ。所属する場所を持てずに悩むダビデのような状況の時も、「屋根の上にひとりいる鳥のように」孤立感に苦しむ時も、どこに属する以上に、私たちは主に属する。誰のものである以上に、自分のものであるよりも以上に、私たちは主のものなのである。

◇そのことには目的がある。「ぶどうの幹なるイエス様につらなる我ならば/神様に喜ばれる/よい実をむすばねばと思う」(水野源三)。

◇神のものとされていることを感謝しつつ、与えられたいのちを、主に喜ばれるものとして生き、生かし合ってまいりたい。

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