礼拝説教


2013/10/13 世界神学校日・伝道献身者奨励日礼拝

「人間主義を越えて」

マルコによる福音書6:1~6

 

大住 雄一先生 (東神大教授)


◇主イエスが故郷で教えを語られると、人々は主に躓き、主ご自身奇跡を行うこともできなかった。主イエスを神の子と信じる私たちには、衝撃的なことである。人々の不信仰によって、主イエスは奇跡を行わなかったのではなく、行うことができなかった。主が神の子なら、人々の不信仰を打ち破って、彼らを悔い改めに至らせ、ひれ伏させることができたはずではないのか。神の子と言っても、その程度のものであったのか。しかしこうして私自身が、「神の子なら十字架からおりてこい。そうしたら信じてやろう」と言っているのではないか。

◇「イエスは彼らに言われた。「預言者は敬われないものではない。故郷以外では』」。「彼ら」とはだれだろう。弟子たちに格言のように、伝道とはこういうものだと教えられたのか。故郷の人たちにむかって、その不信仰を批判されたのか。故郷の人々を批判されたのだ。

◇「1:イエスはそこを去って故郷にお帰りになった」。12年間病気に苦しんで来た女を癒し、『あなたの信仰があなたを救った』と宣言なさった場所、ヤイロに「恐れるな、ただ信じなさい」とおおせになり、その12歳の娘を復活させられた場所を去って、故郷に帰られたのだ。神の子として、神の御わざを行いたもうた。神の業であるから、人間の理性ではわからない。

◇人はただ、主イエスを信ずる信仰によって救われる。信仰によってしか、人間であることを越えて救いに与ることはできない。故郷の人々は、主イエスが神の子であることを許さなかった。知恵と知識などある訳のない大工、自分たちと同じ一人の母の子は、神の子であってはならない。しかし神の子が、私たちと同じ一人の母の子となられたところに救いがある。「あなたはこれを信ずるか。」

◇「預言者は敬われないものではない。故郷以外では。」故郷の人が信じなくても、神の国は近づいている。主は弟子たちを村々に遣わし、「飼い主のいない羊のように」なった民を建て直し、海の上を歩いて「わたしだ」と神としてのご自分を顕わされ、多くの病人を癒された。神の国の印は、もう現れている。

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