礼拝説教


2013/8/18 聖霊降臨節第14主日礼拝

「心の中に蒔かれる種」

マタイ福音書13:1~23

 

伝道師 堀川  樹


◇有名な種まきのたとえ、主イエスは見ても見ず、聞いても聞かず、理解出来できない者に「天の国の秘密」(11節)を明らかにするため、たとえを用いて語る。

◇「たとえ」という言葉は二つの意味を持つ。一つはわかりやすく別の言葉で表現するという意味。もう一つは覆われた話、謎の言葉という意味。『わかりやすさ』とそこに込められた『謎』がこのたとえにはある。

◇当時の種まき、それは先に種を蒔いてから土を耕すというものであった。つまりその土地がどうであろうとも豊かな実りを信じてまず種を蒔いたのである。一見、無駄とも思えるような所でも、実りを期待して種を蒔いたのである。

◇私たちはこのたとえを読む時、思い違いをしてはならない。それはこの四種類の土地(道ばた、石だらけの地、茨に覆われた地、良い土地)は四種類の人間のタイプを示すのではなく、私たちの中にある御言葉に対する四つの心を示しているということである。初めから良い地、実り多い畑であるような土地はない。農夫である神さまは私たち一人一人に種を蒔き続けつつ、潤いを与え、石を取り除き、茨を抜き、かたくなな不毛な状態の私たちを耕してくださる。だからその神の愛と働きのゆえに私たち人間は実を結ぶことができる。

◇この実とはキリストの命による実である。キリストは低きに降り、地に落ち、十字架にかかって死に、私たちに豊かな実りを与えてくださった。おろかとも言える姿で神は種であるキリストを私たちに与え続け、実を結ばせ続けてくださっている。このキリストによる神の愛のご支配こそが「天の国の秘密」であり、人間の常識を越えた 「謎」なのである。

◇旧約の預言者たちはキリストを見ることができなかった。聞くことができなかった。しかし今、私たちはキリストと出会っている。その恵みを味わっている。だからこそ、恵みに応えてキリストという種を蒔き続けよう。

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