礼拝説教


2013/7/7 聖霊降臨節第8主日礼拝

「狭き門」

マタイ福音書7:13~29

 

 主任牧師 大村 栄


◇四つの内最初の段落は「13:狭い門から入りなさい」。滅びに通じる門は広くて、そこから入る者が多いが、命に通じる門は狭いと語る。アンドレ・ジイドの小説「狭き門」は、禁欲的な生き方をした者が救われるとの考えを批判的に描くが、聖書は人間の志しではなく、神の前での姿勢を問う。神の備える「命に通じる門」に至る道は安易な道でなく、困難な道である。その道は近道ではなく、遠い道である。

◇6月20日に亡くなった高橋栄子姉は、30才を過ぎてから、苦学して大学に合格した。大村勇牧師に喜びの報告をし、今後の計画を語ると、牧師は「おめでとう、でも人生の先取りはいけませんよ」と答えた。その後彼女は挫折を体験し、自分の計画を超えた道を生かされる経験をした。自分の思うままに生きようとする時、その道は近くて、手の内にあるように見えた。しかしそれは「命に通じる」道ではないのだ。

◇次の段落の主題は、本質は偽れないという真実。本質を偽っても「18:悪い木が良い実を結ぶこともできない」。私たちは神の前で、あるがままの自分を突きつけられる。本質を超えて自分を偽ったり、先回りをしたりすれば、栄子さんのように「人生の先取り」を禁じられる。

◇第三段落は、口先だけで「主よ主よ」と唱えることの愚かさを言う。大事なのは、「21:わたしの天の父の御心を行う」という、ただ神の意志に従順に従うことなのだ。

◇高橋栄子さんが愛唱した聖句はコヘレトの言葉(伝道の書)3章。「1:何事にも時があり、天の下の出来事にはすべて定められた時がある。…11:神はすべてを時宜にかなうように造り、また、永遠を思う心を人に与えられる。それでもなお、神のなさる業を始めから終りまで見極めることは許されていない」。すべてを最善に導かれる神を超えて、人がどんなに人生の先取りを試みようとも、本質を偽って自分を飾ろうとも、それはみな空しいのだ。

◇最後の段落は「24:岩の上に自分の家を建てた賢い人」。その賢さとはキリストの言葉、神の言葉を聞いて生きること。それが「命に通じる門」「狭き門」を通る条件にほかならない。
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