礼拝説教


2013/6/23 聖霊降臨節第6主日礼拝

「人生の目当てを」

 主任牧師 大村  栄

マタイ福音書6:22~34

 
◇後半6:25~34は、有名な「思い悩むな」の箇所。思い悩むことの多い私たちの視線を、主は野の花や空の鳥に向けさせ、「26:空の鳥をよく見なさい」と言われる。神様はそんな花たちも美しく咲かせて下さる。だったら私たちは何も心配せず、神を信頼してお任せすればよい。

◇冒頭は「22:体のともし火は目である。目が澄んでいれば、あなたの全身が明るい」。新約聖書の時代、「目」は光を受ける窓ではなく、むしろ光を放射して外部の世界を認知する装置と考えられていた。周囲の事物をすべて何でも漠然と見るのではなく、これぞと思うところに向かって視線を合わせる、それが「22:体のともし火は目」ということの意味だと考える。鉄砲を撃つ時に照準を合わせる行為に似ている。

◇「26:空の鳥をよく見なさい」と言われて、見るべきものをよく見、「33:何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい」と言われて一番大切なものに向かって照準を合わせる、そういう主イエスの導きに従う者でありたい。

◇招詞の詩編121「目を上げて、わたしは山々を仰ぐ。わたしの助けはどこから来るのか。わたしの助けは来る 天地を造られた主のもとから」。私たちはこの天地創造の神に、人生と歴史の目当てをしっかり合わさねばならない。被贓物に期待するのではなく、野の花・空の鳥を造られた神にのみ視線を向けて、まことの光を見つめながら歩んでまいりたい。

◇讃美歌21-446「主が手をのべてさわれば、とじた目はひらき、ひかりを見るうれしさ。これぞ神のみわざ」。この作詞者今駒泰成牧師(本年3月逝去)は、日本盲人キリスト教伝道協議会(盲伝)の主事を長く務めた経験を踏まえてこの詩を書かれたのだろう。恐れて目を閉じたり、余計なものに目を奪われている時に、主が私たちにも「手をのべて」さわって下さる。それによって澄んだ眼を取り戻し、「33:何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい」との方向に「人生の目当てを」据えて歩んでまいりたい。

◇「よく見なさい」と私たちを招くためにひとり子を世に下さった主の愛を、「これぞ神のみわざ」と共に賛美するものでありたい。
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