礼拝説教


2013/6/2 聖霊降臨節第3主日礼拝説教

「教え、宣べ伝え、いやす主」

伝道師 堀川  樹

マタイ福音書9:35~38

 
◇このマタイ9:35~38にはキリストがどのような働きをなさったか、その宣教のお姿が記されている。この御言葉は私たちキリスト教会が宣教の使命を思うとき、いつも心に刻んできたものである。『教え、宣べ伝え、いやす』これらをキリストは生涯を通してなされた。そしてこれらの働きは続く10章で弟子たちに委ねられ、やがて教会の宣教の働きとなっていったのである。

◇私たちの教会の使命、それはキリストがいつもなされた『教え、宣べ伝え、いやす』という御業に仕えることに他ならない。35節にあるように「町や村を残らず回った」キリストは世界中の町や村のすみずみまで主の御業が届くように教会を建て、主の御業に仕えるようにと私たちを派遣されるのである。

◇この『教え、宣べ伝え、いやす』という三つの動詞には、今もキリストが教え続け、宣べ伝え続け、いやし続けている、という意味が込められている。今も働いておられるキリスト。ゆえに、私たちは安心してそのキリストのお手伝いをすることができるのである。

◇そのキリストは36節にあるように私たちを深く憐れんでくださる。私たちのために心を痛める神。人間の姿を見て心を痛める神とは、あまりにも頼りなく神らしくない、神とは言えない、まさに想像もつかない神であろう。神は、そのような想像もつかない姿で私たちを愛してくださった。心を痛め、胸を引き裂くような痛みをもって愛し抜かれた。それがあの十字架の出来事である。この憐れみは芥川龍之介の小説『蜘蛛の糸』にあるように、天井から蜘蛛の糸ほどのわずかなものを垂らすようなものではない。自分自身の胸が痛む、本当の同情をもって主イエスは人々の様子をご覧になったのである。そしてその深い憐れみの思いにつき動かされるように、キリストは御国の福音を宣べ伝え、ありとあらゆる病気や患いを癒された。

◇この主の働き、その思いを私たちも受け取り、『教え、宣べ伝え、いやす』この宣教の使命と喜びに仕えたいと願うのである。
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