礼拝説教


2013/4/28 <復活節第5主日礼拝>

「神による再建工事」

ネヘミヤ記2:1~18

牧師 大村 栄


◇バビロン捕囚の子孫でペルシャの王宮に高級官吏として仕えるネヘミヤは、故郷エルサレムの荒廃を使者から聞き、「座り込んで泣き、…天にいます神に祈りをささげた」(1:4)。やがて彼はエルサレムの城壁再建のために一時帰国する許可を王に願い出る。そこは「神の都」であるが、異教徒である王に対しては「先祖の墓のある町」(2:3)と言葉を慎重に選んで訴えている。その結果、王は願いにまさる配慮をネヘミヤに与えてくれた。「祈り」つつ時を「待つ」ならば、「知恵」が与えられ、道が開かれていくのだ。

◇故郷では再建への反対勢力もいる不穏な情勢の中、彼はまず城壁の実地調査から開始した。調査を終えてネヘミヤは言う。「17:御覧のとおり、わたしたちは不幸の中であえいでいる。エルサレムは荒廃し、城門は焼け落ちたままだ。エルサレムの城壁を建て直そうではないか。そうすれば、もう恥ずかしいことはない」。

◇私たちは自分の教会が荒れていたら「不幸」にあえぐだろうか。汚れていたら「恥ずかしい」と感じるだろうか。自分の生活維持のためには惜しまず出費する私たちだが、教会の維持のためにはどれだけ関心を持ち、捧げようとするだろうか。教会は私たちの信仰を形に表したものだ。その教会のあり様に重大な関心を払いたい。

◇再建すべき城壁とは、教会の建物を言うだけでなく、教会に集う私たち一人一人の礼拝者を指す。「あなたがたは、自分が神の神殿であり、神の霊が自分たちの内に住んでいることを知らないのですか」(Ⅰコリント3:16)。「神は御自分にかたどって人を創造された」(創世記1:27)。そうやって造られた人間が、汚れ、損なわれている時、神はそれを自らの痛みと感じ、悲しまれる。私たちは神の宮として整っているだろうか。

◇「20:天にいます神御自ら、わたしたちにこの工事を成功させてくださる。その僕であるわたしたちは立ち上がって町を再建する」。再建事業の中心に立って下さるのは神ご自身である。私たちは「その僕」として服従する。教会を建て直し、すべての人を本来の姿に建て直す「神による再建工事」に、祈りと忍耐と知恵をもって参加してまいりたい。

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