礼拝説教


2013/4/21 <復活節第4主日礼拝>

「土の器に働く神の力」

コリントの信徒への手紙二 4:7~15

協力牧師  中野  実


◇イエス・キリストはすでに死から復活し、永遠の命の中へ入っていかれた事により、歴史と世界全体が根底から創りかえられた!そのメッセージを教会は2000年間にわたり力強く発信してきた。イエス・キリストの復活によって起こった変化を自らの存在において担う者として、キリスト者は人生を歩む。

◇復活の命を担うキリスト者自身は「土の器」にすぎない。しかし神は、壊れやすくもろい私たちの中に、最も尊い宝物、すなわちキリストの復活の命を納める不思議な御業をなさる方である。

◇洗礼と聖餐を通してイエス・キリストと一つとされている私たちは、復活の命にあずかるのみならず、キリストの死と苦しみにもあずかる者なのである。それ故、私たちの経験する日々の苦しみはもはやただの苦しみではない。イエス・キリストが十字架の苦しみを通って復活されたがゆえに、キリストと一つとされている私たちの苦しみも復活の命へと向かう、特別な苦しみに変えられている。死をも突き抜けていく新しい命の始まりが、日々背負っていかなければならない私たちの苦しみの一つ一つの中に、すでに隠されている。それを少しずつではあるけれども、感じとることができる。それが私たちキリスト者の光栄である。

◇私たちは「土の器」のままであり、日々の苦しみの中でますます小さくなっていく者にすぎない。しかし、私たちが苦しみの中で小さくされればされるほど、自らにおいて働く神の力の大きさを証しすることができるのではないか。ここで19世紀フランスのカトリック修道女リジューのテレーズの言葉を紹介したい。「私が困難に出会った時は、決してそれを飛び越えようとは思いません。今より、もっともっと小さくなって、その下をくぐりぬけようと思います」(荒井英子『弱さを絆に』教文館、2011年、45-46頁からの引用)。

◇小さな私たちにおいてこそ働く十字架と復活のイエス・キリストの力の大きさを全身で味わい、その恵みを全身で感謝し讃美することが私たちキリスト者にできる賜物であり、使命である。

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