礼拝説教


2013/2/24 <受難節第2主日>

「キリストのたたかい」

イザヤ書35:1~10
マタイ12:22~32

牧師 大村 栄


◇「22:悪霊に取りつかれて目が見えず口の利けない人が、イエスのところに連れられて来てイエスがいやされると、ものが言え、目が見えるようになった」。キリストの「いやし」は、体と心の障害の治癒に留まらない。イザヤ書35:4-5「4:神は来て、あなたたちを救われる。5:そのとき、見えない人の目が開き…」。全面的な「救い」の一端としてのいやしなのだ。

◇ファリサイ派は「24:悪霊の頭ベルゼブルの力」を借りていると非難し、主はそれに反論するが、結論は「28:神の国はあなたたちのところに来ている」という宣言に込められている。キリストの到来と共に「この世はみな神の世界」(讃21-361)、聖霊の働く場に変わったのだ。

◇人間を悪霊(神に敵対する勢力)から解放し、神の被造物として生きる本来の場所へ戻すのが「キリストのたたかい」。その戦いの武器はただ一本の十字架だ。世界の破れを一身に帯び、十字架に死ぬことによって、主はこの世に打ち勝たれた。そしてこの解放と救いのための戦いは、十字架を仰ぐ教会に託されている。

◇私は先週福島市といわき市の被災教会を訪ねた。会堂を失っただけでなく、放射能問題で心が傷付いている。だがそこで身を捧げて、教会の再建に努力している牧師や信徒方がいる。

◇「31:罪や冒涜は、どんなものでも赦されるが、“霊”に対する冒涜は赦されない」。聖霊は「教会を信じ、よみがえりを信じ」る力(「使徒信条」参照)を私たちに与える。被災教会の再建を推進する聖霊の働きを阻んだり、それを無駄だと考えたりするのは、「31:“霊”に対する冒涜」であり、決して「赦されない」。

◇キリストはすでに最強の悪魔を「縛り上げ」、この世界を、聖霊の働く場へと変えて下さった。私たちは教会に継承されたその「キリストのたたかい」に参加しよう。「よみがえりを信ず」という教会の信仰が発揮され、「み国を来たらせたまえ」との祈りが成就する時を待とう。

(C) Asagaya Church, United Church of Christ in Japan, asagaya-church.com