礼拝説教


2013/1/6 <新年礼拝>

「東方の博士たち」

マタイ福音書2:1~12

牧師 大村  栄


◇教会の伝統では、今日1月6日は御子の降誕の12日目に当たり、エピファニー(公現日)と呼ぶ。救世主の誕生が、東の国の博士たちに代表される異邦世界に公に現されたことを記念する日だ。今日までクリスマスの飾りは、飾ったままでいい。

◇博士たちの訪問を受けた時、「3:ヘロデ王は不安を抱いた」。王が自分の権力の座を危うくされると恐れたのは当然だが、「3:エルサレムの人々も皆、同様であった」は意外。彼らはメシアの到来を待ち望んでいたはずだ。しかし彼らもヘロデ王と同様に「不安」しか感じなかったのは、予想や願望に反する実現の仕方だったからだろう。救いは素朴に、謙虚に待つべきものである。

◇三人の博士たちは星に導かれてエルサレムまでやって来たが、そこでいったん星を見失う。だからベツレヘムの馬小屋に直行できず、ヘロデ王を訪ね、その結果彼と都の人々に不安を抱かせ、後に2:16以下の「嬰児虐殺」の悲劇を起こすことにもなる。ここには人間の理解を超えた、大きな神のご計画があったに違いないと思う。

◇博士らは「11:ひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた」。「宝の箱」は背のうで、そこに入れて運んできたものは、財宝と言うより商売道具。それを捧げるとは、過去の自分を捨てて、将来を委ねること、徹底的な服従と献身を意味する。「東方の博士たち」が生活の道具を捧げ、自分自身を捧げたように、私たちも一年献身の日々を過ごしたい。

◇「自分の体を神に喜ばれる聖なるいけにえとして献げなさい。これこそ、あなたがたのなすべき礼拝です」(ローマ12:1)。今年も不安に満ちた世界であり個々の人生かもしれないが、2013年前、ここに神が尊いひとり子を下さり、未来への架け橋を架けて下さった。それほどに神に愛されたこの世界なのだから、希望と信頼を持って今年の新しい旅に歩み出していきたい。

◇博士たちのように、途中で星を見失うこともあるだろう。だから主の日ごとに星を見つめ直し、方向を定め直す礼拝を重ねる一年でありたい。

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