礼拝説教


2012/12/2 <待降節第1主日>

「未来への緊張と期待」

マタイ福音書24:36~44

  牧師 大村  栄


◇今日から待降節。再び来たりたもう主を待ち望む季節である。その時に起こるであろう出来事が24章に描写されている。それを聞いて恐れる弟子たちに対して主イエスは、「6:戦争の騒ぎや戦争のうわさを聞くだろうが、慌てないように気をつけなさい」となだめ、世の終わりが来る前にやる事があると告げる。それは教会の責任である「福音伝道」である。

◇36節以下では、「慌てるな」逆に緊張を促している。終末を遠い未来の出来事とし、緊張も期待もなくしてしまうことへの警告である。「36:その日、その時は、だれも知らない。…37:人の子が来るのは、ノアの時と同じだからである」。ノアはある日突然神に、大きな箱船を造って、彼と彼の家族がそれに乗るように命じられた。神は罪と汚れに満ちた当時の世界を、洪水で洗い流して一新しようとされたのだ。

◇人々が嘲る中、ノアはその命令に答えて箱舟を造り続けた。そして40日40夜雨が降り続き、人も大地もすべてのものを呑み尽くした。150日後に水が引き初め、箱舟はアララト山の上に漂着し、ノアとその一行は地上に出、神を礼拝してから新しい時代へと踏みだして行く(創世記6~10章)。

◇ヘブライ書11:7「信仰によって、ノアはまだ見ていない事柄について神のお告げを受けた時、恐れかしこみながら、自分の家族を救うために箱舟を造」った。世界中が神に背を向ける中で、ノアだけが神の命令に忠実で、終わりの時への備えを怠らなかった。それにより彼は、初代教会で信仰の模範として讃えられた。

◇同11:1「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです」。「望んでいる事柄」とは、私が「望んでいる事柄」以上に、神から「望まれている事柄」があると確信することであり、それが「信仰」だ。同11:2「昔の人たちは、この信仰のゆえに神に認められました」。ノアがそのひとりだったのである。

◇「いずれの日さかえもて、地に現れたもうや。知るを得ず、知るはただ、『そなえよ』とのみ言葉」(讃美歌?58の4節)。「待ちつつ、急ぎつつ」(ブルームハルト)その日に備えたい。

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