礼拝説教


2012/10/28 (在天会員記念礼拝)

「新しい天と新しい地」

ヨハネ黙示録21:1~4、22~27

名誉牧師 大宮 溥


◇教会を表す「聖徒の交わり」は、地上の「戦闘の教会」と天上の「勝利の教会」から成り立っている。在天会員記念礼拝はこの「聖徒の交わり」が共に主なる神の前に集っていることを自覚する機会である。

◇ヨハネ黙示録は、世界の歴史がその目標である「神の国」に到達し、「新しい天と新しい地」が開けた状態を描き出している。創造の時の完全状態は人間の堕落によって破られ、歴史は光と闇との戦いの舞台になっている。しかし、最後には神の栄光の輝く平和の神の国が来る。その新天新地には死を意味する「海」がない。「天上のエルサレム」は地上の旅を終えた神の民が住む所であるが、それが天から地に下る。その姿は「夫のために着飾った花嫁のよう」で、神の愛のパートナーとして輝いている。そこでは「神の幕屋が人と共にあり」神御自身が人と直接触れてくださる。

◇「わたしは、都の中に神殿を見なかった。全能者である神、主と子羊(キリスト)とが都の神殿だからである」(22節)。聖域と世俗領域の区別がなくなり、世界全体が聖域となるので、教会はなくなる。キリストは全世界の万民の救いのために十字架につかれ復活された(ヨハネ福音書3:16)。今はキリストの救いを知らない世界と、それを知って信じる教会が外円と内円のように区別があるが、両者の中心はイエス・キリストであり「教会のかしら」は「世界の主」である。そして終末には人々は「見ないで信じる」状態から「神をリアルに見る」状態になるので、信ぜずにはいられなくなる。だから、本日の礼拝に集われた方は皆、この神の都の市民であることを知って頂きたい。

◇それと共に、地上において信仰を持って生きるとき、われわれは「天のエルサレム」の市民とされ「子羊の命の書に名が書かれる」のである。「わたしたちの本国は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、わたしたちは待っています」(フィリピ3:20)。信仰の家族として歩みたいものである。
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