礼拝説教


2012/9/2 (振起日礼拝)

「愛と赦しの沈黙」

ヨハネ福音書8:1~11

牧師 大村  栄


◇姦通の現場で捕らえられた女への処罰について、イエスに「7:しつこく問い続ける」男たちは次のように思っていた。この女はモーセの十戒の第7「姦淫してはならない」を破った。これは社会の伝統と秩序に対する挑戦だ。女は我々に対する「加害者」で我々はその「被害者」だ。「被害者」は抵抗と反撃の権利がある。だから我々はこの女を処罰する。

◇地面に指で何か書いていた主イエスは、身を起こしてその男たちに、「7:あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい」と言われた。「この時イエスは指で地面に彼らを断罪する言葉を書いておられた」(ヒエロニムス)。自分の罪状書きを見せられた者は「9:年長者から始まって、一人また一人と、立ち去って」いった。 ◇裁く者はいなくなったが、彼女に平安はない。ここで罰せられなくても、生涯自分の罪を負って生きる。「加害者」意識に悩む者の罪責感=「後ろめたさ」は癒され難い。それは<赦される>ことによってのみ克服しうる。

◇土に書かれた罪状書きはやがて消え、その罪は忘れられる。愛は赦すことforgiveである以上に、忘れることforgetだ。しかし決して罪をうやむやにする訳ではない。罰せられるべき者が赦されるために、罰せられるべきでない方が十字架に罰せられた。この<運命の交換>によって真の救いは実現した。

◇そしてその罪を赦す神の子の権威が、教会に託されている。復活の主イエスが弟子たちに言われた言葉、「だれの罪でも、あなたがたが赦せば、その罪は赦される。だれの罪でも、あなたがたが赦さなければ、赦されないまま残る」(ヨハネ20:23)を覚えよう。

◇振起日に当たり、「愛と赦しの沈黙」をもって私たちに寄り添って下さる主イエス・キリストを、改めて生涯の同伴者として迎えたい。そしてキリストの赦しを宣べ伝える伝道の秋に、ご一緒に歩み出していきたい。


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