礼拝説教


2012/8/12 (聖霊降臨節第12主日)

「愛によって結ばれる」

ヨハネの手紙一 5:1~12

牧師 大村  栄 


◇「1:イエスがメシアであると信じる人は皆、神から生まれた者です。そして、生んでくださった方を愛する人は皆、その方から生まれた者をも愛します」。キリストを信じるとは、神を父とすることであり、父が生まれさせて下さったすべての人々を、兄弟姉妹として愛することである。この「敬神愛人」が聖書の最大の掟だ。

◇「3:神の掟は難しいものではありません」。本当にそうだろうか。しかし「4:神から生まれた人は皆、世に打ち勝つ」。だからこの「掟」を全うできる。「5:だれが世に打ち勝つか。イエスが神の子であると信じる者ではありませんか」。

◇「6:この方は、水と血を通って来られた方、イエス・キリストです」。讃美歌21-449(I-260)は「千歳の岩よ、わが身を囲め、裂かれし脇の血しおと水に、罪もけがれも洗いきよめよ」と歌う。「兵士の一人が槍でイエスの脇腹を刺した。すると、すぐ血と水が流れ出た」(ヨハネ19:34)。血液と体液(内臓)が流れ出たということは、イエスの死は決して見せかけでなく、真に人間として、私たちと同様に死んだのだ。

◇しかし良く読むと、キリストは「水と血」を流して死んだ、ではなく、それよって「来られた」とある。出産の出来事を連想する。新しい命の誕生と共に、大量の羊水と血が流される。キリストは私たちと同様に「水と血」を流して死なれた。しかし神はそれを新しい命への出発とされた。イエスの復活において実現したこの出来事を信じる者が「4:世に打ち勝つ」のだ。

◇様々な苦難や試練のときに、これでもう最期かと思う時がある。あるいは逃避したくなるような現実がある。しかしその究極の部分に流れる「水と血」が、神によって死から命へと替えられていることを知って、私たちは勇気と希望を持って現実の中に帰っていくことができる。それが「世に打ち勝つ」ということである。

◇この「水と血」は洗礼と聖餐を象徴もしている。それらの聖礼典と聖霊の助けによって、私たちが「世に勝つ」ことの保障が与えられる。

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