礼拝説教


2012/8/5 〈平和聖日 〉

「世界は誰のものか~いのちの代価~」

レビ記17:10~12,マタイ16:26

副牧師 加藤真衣子 


◇八月は平和の中で生きる意味、重みを味わせる月だ。私の祖父は二十歳で徴兵令を受け大分県日出町にある陸軍演習場で実弾射撃訓練などを受けた。日中戦争で召集令状を受け多くの戦友が戦死。祖父自身も貫通銃創を受け、祖母は神戸大空襲にあい日出町に帰郷。日出の海岸には航空母艦が停泊し、我が家は兵隊の宿泊所で兵服を干していたために、我が家めがけて戦闘機が低空飛行で機銃掃射を打ち込んできた。私は家の柱に穴があいていたことや、銃弾がくいこんで取れないままでいたことを覚えている。その後、広島・長崎に原爆が投下され、敗戦。祖母の属する日出教会に会堂がなかった時代、我が家は教会の祈りの集会所として使われていた。やがて私を含め家族は洗礼を受けることになる。人の罪を超え神の救いは貫いていく。

◇世界は誰のものか。聖書は主なる神が世界の主人だと語る。旧約の民は神に選ばれたにもかかわらず、神を忘れて歩んでしまった。我々キリスト者も同じだ。神は真実な方であるから罪に対しては必ず裁きが与えられる。それがイスラエルにとってはバビロン捕囚だった。イスラエルは自分達の過去を徹底的に検証した。我々も罪の歴史を徹底的に振り返り、心からの悔い改めへと導かれたい。

◇世の終わりを強調する人たちがいる。皆熱狂的になる。福音書の時代がそうだった。主イエスが再びやって来られて、この世を審き、世の終わりをもたらすと信じ、その時を待っていた。ところが10年経っても、20年経ってもやってこない。「終末の遅延」が問題になった。人々は浮き足立ち、仕事も、日常生活も手に着かない人がいた。テサロニケ教会宛の第一手紙にもある。「わたしたちが命じておいたように、落ち着いた生活をし、自分の仕事に励み、自分の手で働くように努めなさい。」(4章11節)

◇そんな我々に向かって神が語りかけたことが天地をお造りになったのは神であり、それはきわめて良かったということだ。それがこの世界と人間の本来の姿なのだ。神が特別な思いをもって人間を造った。そんな我々には「神のかたち」があるというのだ。

◇「人は自分の命を買い戻すのにどんな代価を支払えようか」。この世に存在するどんなものをもってしても命を買い戻すことはできない。それゆえ神のなさったことは、ひとり子を世に送り、その血を十字架で流されたのだ。この事実を私の罪の赦しのためだと信じる者は、初めの「きわめて良かった」姿に再創造される。恵みに感謝して、新しく生かされていきたい。

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