礼拝説教


2012/7/22 〈聖霊降臨節第9主日礼拝 〉

「恐れるな、わたしはあなたと共にいる」

イザヤ書43:1~7,16~21

牧師 大村  栄 


◇イザヤ書は三つの部分に分類される。43章は第二イザヤ(前6世紀中頃)。バビロン補囚の末期に書かれた。かつてイスラエルの民は「多くのことが目に映っても何も見えず/耳が開いているのに、何も聞こえない」(42:20)という頑なさ、愚かさにおちいった。その態度を怒った神は、民にバビロン捕囚の苦難を与えた。

◇しかし神はやがて憐れんで民に回復への道を与えられた。「2:水の中を通るときも、わたしはあなたと共にいる。大河の中を通っても、あなたは押し流されない」。それはかつての「出エジプト」の恵みを連想させる。神はただ愛のゆえに民に対して、「4:わたしの目にあなたは価高く、貴」いと言い、「5:恐れるな、わたしはあなたと共にいる」と言って下さる。

◇その愛の中で、いわば第二の「出エジプト」をすることが許されて、故郷に帰還した民だったが、やがて感謝を忘れ、悔い改めを忘れ、神を忘れて再び罪に落ちこんでいった。信仰より生活の再建を優先し、神への信仰を失った。第二の出エジプトでは駄目だったのだ。エジプトの奴隷生活や、バビロンの捕囚生活の苦難の中で、イスラエルは学習しなかった。私たち人間の学習能力の乏しさを感じる。

◇そういう事態に対して第三イザヤ(前6世紀後半)は「18:わたしは創造する。見よ、わたしはエルサレムを喜び躍るものとして…創造する」(65:18、礼拝招詞)と語る。それは「第二の出エジプト」では救済されなかったイスラエルに、更なる原点に立ち返る「新しい天地創造」をもって臨むとの神のメッセージである。

◇天地創造は何ものも素材とせず、ただ神の意志と言葉によって造られた。無から有を生じさせるそのみわざが、神の歴史の中で、現在も未来も繰り返される。「19:見よ、新しいことをわたしは行う。今や、それは芽生えている。あなたたちはそれを悟らないのか」。この夏も、神の新しい歴史に身を置いて生きる喜びと、同時に使命をご一緒に味わってまいりたい。

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