礼拝説教


2012/7/8 〈聖霊降臨節第7主日礼拝 〉

「信じる勇気と希望」

ヨハネ福音書4:43~54

牧師 大村  栄 


◇「44:預言者は自分の故郷では敬われない」。主イエスご自身が前にそう言った故郷へ帰ってみると、今回は「45:ガリラヤの人たちはイエスを歓迎した」。この態度の変化には理由があった。2章に「イエスは過越祭の間エルサレムにおられたが、そのなさったしるしを見て、多くの人がイエスの名を信じた」(2:23)。そこにガリラヤの人々もいたらしい。それで彼らは故郷に錦を飾る英雄としてイエスを歓迎したわけである。

◇しかし「イエス御自身は彼らを信用されなかった」(2:24)。しるし(奇跡)を見たから信じるという表面的な信仰しか持てない人々の、弱さと危険性を主は見抜いておられたのだ。

◇息子の重病に悩む父親が来て、主に「47:息子をいやしてくださるように頼んだ」。すると主は、「48:あなたがたは、しるしや不思議な業を見なければ決して信じない」と言われた。「あなたがた」とは上記のガリラヤ人一般を指している。しかしこの父親は例外だった。

◇彼は「49:主よ、子供が死なないうちに、おいでください」と言ったが主は「50:帰りなさい。あなたの息子は生きる」と応ずる。がっかりしただろうが彼は、「イエスの言われた言葉を信じて帰って行った」。彼には見ないで信じる信仰があった。だから信じて帰って行った。

◇そして「51:下って行く途中、僕たちが迎えに来て、その子が生きていることを告げた」。聞くとそれは、主イエスが「あなたの息子は生きる」と言われたと同じ時刻だった。勇気を持って踏み出した彼は、イエス・キリストによってしっかりと受け止められたのを知った。その結果、「彼もその家族もこぞって信じた」。父の信仰は家族一同をキリストへ導くものとなった。

◇今日「一斉組会」を礼拝後に行う。組会は会員相互の交わりであると同時に、家族伝道の場としても用いられてきた。私たちの信仰は自分だけの事柄で終わらない。見ないで信じる人の「幸い」(ヨハネ20:29)を覚えつつ「信じる勇気と希望」を生き、分かち合う者でありたい。

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