礼拝説教


2012/7/1 〈聖霊降臨節第6主日礼拝 〉

「キリストはわたしたちの平和」

エフェソ書2:11~22

牧師 大村  栄 


◇エフェソの町は偶像礼拝の盛んな町だった。パウロの伝道によってそういう偶像礼拝から解放され、キリストを信じる者とされた信徒たちに、パウロは言う。「13:あなたがたは、以前は遠く離れていたが、今や、キリスト・イエスにおいて、キリストの血によって近い者となったのです」。「近い者となった」のは、人間が近づいたのではなく、キリストの執り成しによって、神が近づいて下さったのである。

◇「13:キリストの血によって」、「15:新しい人」とされた私たちは、敵意と対立の渦巻く世界にあって、一方について他方を排除するのではなく、わが身を捨てて両者の和解に努力する。それによって苦悩するが、そこで十字架と復活の主イエス・キリストの恵みに生きることができる、それが「新しい人」となるということだ。

◇先週の祈祷会で読んだ創世記36章は無味乾燥な系図だ。しかもそれは正統派アブラハム、イサク、ヤコブではなく、ヤコブの兄エサウの系図なのである。エサウは後にイスラエルに敵対するエドム人の先祖だ。さらに36章後半はエドム地方の異邦人たちの系図まで記されている。イスラエルからは遠い存在である異邦人の一人一人までその名が覚えられ、記録されている。これが一般の系図とは違う聖書の系図であり、一般の歴史と違う聖書の歴史なのである。

◇「系図」「歴史」(ヘブライ語でトーレドース、英語でジェネシス)は「創造」の意味でもあり、「これが天地創造の由来である」(創世記2:4)の「由来」とも訳される。聖書では、無名の人々も皆一人一人が神に由来する命なのだ。ローマ書11:36(招詞)「すべてのものは、神から出て、神によって保たれ、神に向かっているのです」。

◇こういう、神の歴史における一体性、一貫性は、「新しい人」にして「20:かなめ石」なるキリストの到来によって最終的に実現した。今日は聖餐において「13:キリストの血」を分かち合うことを通して、私たちが神の歴史に生かされているお互い一人一人であることを覚えよう。

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