礼拝説教


2012/6/10 〈特別伝道礼拝 〉

「砂漠がオアシスに変わる時」

イザヤ書35:1~1
ルカ福音書10:21~24

聖学院大学准教授 左近 豊先生 


◇預言者のまわりには辛すぎる「あの日、あの時」を生き延びてきた人たちがいた。 イザヤもその中の一人。救いの言葉は外から臨む。神の言葉は未来から来る。 「あの日、あの時」から「その日、その時」へ、神のみ言葉が先だって進みゆく、と。 壮大な幻、神が始められる新しい御業のヴィジョン。あたり一面、渇きと飢えが命を 干上がらせているような現実があるが、その砂漠がオアシスに変わる時が来る、と。

◇旧約聖書の知恵の教師は教えた。「幻なき民は滅びる」(箴言29:18)。その幻のゆえ に今目の前で行き詰ってしまっている世界がそれで全てではないことに気づかされる。 神が来たらせられる「その日、その時」の幻を胸に「この日、この時」を精いっぱい真剣 に生きる者とされて行く。時代から時に距離を置き、対峙し、批判する預言者の視点はこ こから来る。聖書が語る預言者の生き方は、浮世に身を沈めて、そこで泣き笑いしながら、 しかしそこに溺れない生き方。醒めて夢を見、冷静な目で幻を語る。浮世に溺れない、 しかし浮世離れしない生き方。

◇イザヤは更に「主に贖われた人々は帰ってくる」と語る。主が犠牲を払って命買い取っ てくださった者。イザヤはこの原点に私たちを立ち帰らせる。キリスト者は精神世界の高 みに登る者のことではない。むしろ高きにいます方が、低く下ってくださり、私たちの地 平に身を沈められ、涙を流し、共に笑い、血を流し、共に死んでくださった。そうやって 私たちの弱く、よろめき、おののく生命の確かな礎となってくださった、この原点に常に 立ち帰る者のこと。

◇私達は教会で、神の国、神の御業の幻を見る。その只中に復活の主がおられるのを見る。 そこに私達の命の基があること、原点があることを思い起こす。日々の生活で纏わりついた 様々な重荷をここで降ろし、曇って霞んでしまった目を、ここで洗っていただいて、もう 一度、神の御業の幻を見ることができるようにされる。

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