礼拝説教


2012/4/1 〈棕櫚の主日 〉

「絶えず目を覚まして根気よく祈り続けなさい」-新年度教会標語による説教-

牧師 大村 栄

エフェソ書6:10-20


◇エフェソ書はパウロが獄中から書いた獄中書簡とされている。目前の駐留ローマ軍兵士たちの重装備に比べて、自分はあまりにも無力だ。しかし彼は自分が、はるかに優れた信仰という武具を持っていると確信している。

◇その武具をもって戦う相手は、「12:血肉を相手にするものではな」い。人間を破壊し、神の造られた世界を破壊しようとする「11:悪魔の策略」が、外から内から私たちに迫ってくる。これに「対抗して立つことができるように、神の武具を身に着けなさい」と促す。

◇そして、最大の武器は祈りであると語る。「18:どのような時にも、“霊”に助けられて祈り、願い求め、すべての聖なる者たちのために、絶えず目を覚まして根気よく祈り続けなさい」。教会は「聖なる者たち」の群れとして互いに支え合う祈りの共同体である。

◇「根気よく」という言葉はギリシア語にない。前の口語訳聖書では「目をさましてうむことがなく、すべての聖徒のために祈りつづけなさい」で、「根気よく」はなかった。広辞苑では「物事をあきずに辛抱強く続ける気力」。どこか、今日棕櫚の主日にイエス様を背にお乗せしたロバを連想させる。ずんぐりして足は遅いが、他者の重荷を負って誠実に歩むロバ。他者の重荷を覚え、そのために自分が出来ることを求めつつ、祈りを続けたい。

◇「拝みたおす」という言葉があるが、それをもじって、神を「祈りたおす」と言った人がいる。しかし本当は、祈りによって倒れるのは神ではなく自分なのだ。祈りは願いを叶えることが目標なのではない。祈ることで自分が神の意志に従う者に変えられていく。それが「根気よく祈り続け」ることの意味だ。

◇主イエスがロバに乗って来られた棕櫚の主日に、この聖句を一年の標語として与えられた私たち。ロバのように他者の重荷を負う者として来られた主イエスにならい、自分の十字架を負って従えとの招きに応えて歩む一年でありたい。

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