礼拝説教


2012/3/11 〈受難節第3主日礼拝〉

「被造物の限界ー東日本大震災一周年」

牧師 大村 栄

マルコ福音書4:35~41


◇ガリラヤ湖を進む小舟に、主イエスと弟子たちが乗り込んでいる。「37:激しい突風が起こり、舟は波をかぶって、水浸しになるほどであった」。しかし、「38:イエスは艫の方で枕をして眠っておられた」。弟子たちは叫び訴える、「38:先生、わたしたちがおぼれてもかまわないのですか」。

◇湖は「海」と訳されることもある。そこは悪魔的な力が支配する世界と考えられた。神は天地創造の第三日目に海と陸とを分けられ、海を海岸線の向こうに封じ込めた。しかししばしば洪水があって、神が定めたはずの境界を越えて、海が大地に侵入し、これに襲いかかるのを人々は恐れた。

◇弟子たちは今、舟というガードを破って、海が侵略して来そうだという恐怖のただ中にある。しかし主イエスは安らかに眠っている。神へのまったき信頼による平安な眠りだ。その主イエスと一緒にいながら、弟子たちはその平安を共有できず主イエスをたたき起こしている。

◇「39:イエスは起き上がって、風を叱り、湖に、『黙れ。静まれ』と言われた。すると、風はやみすっかり凪になった」。この主イエスの命令は、私たちの心にも向かって発せられている。「40:なぜ怖がるのか」。神の子が共にいる平安を、それによる力を「まだ信じないのか」と言われる。

◇弟子たちは、自然の力に勝る力がここにあることを知るべきだった。キリストの存在は、ひとり子を世に差し出し、それ程までしてこの世界に関わろうとして下さる神の愛を示すものである。ローマ書8:38-39「わたしは確信しています。死も、命も、…他のどんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスによって示された神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのです」。

◇荒れ狂う波も風も、地震も津波もすべては神の被造物。それらは決して「キリスト・イエスによって示された神の愛から、わたしたちを引き離すことはできない」。この確信を私たちは、大震災2年目に踏み出す今新たにしたい。これからも続けられていく支援活動の原動力としても、キリストに示された神の愛を支えとしていきたい。

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