礼拝説教


2012/2/19 〈降誕節第9主日礼拝〉

「分かちあって生きる」

牧師 大村  栄

ヨハネ福音書6:1~15


◇「五千人に食べ物を与える」という、四福音書すべてある有名な記事。「9:ここに大麦のパン五つと魚二匹とを持っている少年がいます。けれども、こんなに大勢の人では、何の役にも立たないでしょう」と弟子のアンデレは言うが、主は人々を座らせ、パンと魚を取って「11:感謝の祈りを唱えてから、座っている人々に分け与えられた」。すると皆が満腹し、食べ残したパン屑で「13:十二の籠がいっぱいになった」。

◇この少年に触発されて、ほかの人々も自分の弁当を出したのかも知れない。しかしそれだけではない。もっと大事な要素は、主がこれを祈って分けられたということだ。わずかなものでも、神に「感謝」し、それが最善に活かされることを願って祈る時に、独占を超えた正しい分配が起こってくる。そして、その輪の中心に主イエス・キリストがおられることに気付かされるのである。

◇津波の大きな被害を受けた新生釜石教会の柳谷雄介牧師によると、あの日、避難所ではわずかな食べ物を皆が分け合って食べたそうだ。「今振り返ってみると、あれはイエスの奇跡の食卓の再現でした。…地獄のさなかに、暗闇の中に、キリストの奇跡があった。このことはなんとしても語り伝えていきたいと願っています」。

◇「ソーシャル・キャピタル(Social Capital)」という言葉がある。「社会関係資本」と訳される。よりよい社会を築くために、人と人との信頼や協力といったネットワークが不可欠であり、それがこの社会の資本(=元手や基礎)となるとの考え。「ネットワーク」は「絆」と言い換えられる。大震災のあった昨年2011年を表す文字とされた。この不安な時代にあって、未来への希望をつむぎ出していくための資本として、最先端の科学技術にまさって人と人との絆が不可欠である。その絆はキリストを中心とする時に最も輝くものである。

◇神への全き信頼を生き、信頼のしるしである感謝の祈りをキリストにならって捧げる時、「暗闇の中に、キリストの奇跡があった」という「分かち合って生きる」世界が始まるのである。
(C) Asagaya Church, United Church of Christ in Japan, asagaya-church.com