礼拝説教


2012/2/5 <降誕節第7主日>

「母なる教会」

牧師 大村  栄

ヨハネの手紙二1~13


◇「1:長老のわたしから、選ばれた婦人とその子たちへ」。この短い手紙の受取人は、ある教会とその信徒たちのことを指している。教会を婦人にたとえる例は他にもある。「夫たちよ、キリストが教会を愛し、教会のために御自分をお与えになったように、妻を愛しなさい」(エフェソ5:25)。

◇宗教改革者カルヴァンは「神を父とする者にとって、教会は母である」と言った。私は地方で暮らしていた時に東京の母が死んだ。自分にとって母は故郷であり、それによって自分の居場所を確認する存在だったと感じた。「母なる教会」もきっとそんな場所だと思う。教会を通して私たちは、自分の生きる場所や歩む方向を自覚させられる。

◇そのため教会に「真理」、アレーセイアがある。「2:真理は永遠にわたしたちと共にあります」。ローマ総督ピラトは法廷に引き出されたイエスに対して、「真理とは何か」と問うた(ヨハネ18:38)が、その目の前にいる方ご自身が、真理であることを知らなかった。「わたしは道であり、真理であり、命である」(ヨハネ14:6)。聖書の告げる真理とは概念ではなく人格である。神が人となって世に来られたことを知的に認識するのではなく、その方ご自身と人格的に出会うのだ。

◇その出会いの場が教会であり、そのために教会が守るべき「掟」がある。「5:初めからわたしたちが持っていた掟、つまり互いに愛し合うということです」。その愛は感傷的なものではなく、ひとり子を与えるほどに世を愛された神の御心に従うことだ。ひとり子イエスが身をもって教えて下さったように、重荷を負い合って生きることである。

◇「9:その教えにとどまっている人にこそ、御父も御子もおられます。10:この教えを携えずにあなたがたのところに来る者は、家に入れてはなりません」。教会は愛と真理の教えに毅然と立ち続けなければならない。それによってこそまた、私たちは自分自身の居場所を示される。

◇来週は私たちの母なる阿佐ヶ谷教会の88才の誕生日。母なる教会を通して父なる神を知り、妻なる教会を通して夫なる神と出会う場所でありたい。

(C) Asagaya Church, United Church of Christ in Japan, asagaya-church.com