礼拝説教


2012/1/15 <降誕節第4主日>

「主イエスに従う」

副牧師 姜キョンミ

ヨハネ福音書1:35~51


◇洗礼者ヨハネのそばにいた弟子二人が、主イエスに従いました。「見よ、神の小羊だ」(36節)とヨハネの言葉を聞いた者が、ヨハネ自身に従うのではなく、ヨハネが指し示している神の子に従って歩む者となること、それこそがヨハネの望みであり、祈りでありました。

◇イエスに従った二人の弟子は、「ラビ、どこに泊まっておられるのですか」(38節)と尋ねます。「泊まる」という言葉は、「留まる」「繋がる」「内にいる」という意味も持っています。ここでは「神の救いのご計画の中で、あなたはどこに留まるのか、あなたはどこに繋がるのか、どういう位置を占める方なのか」、つまり「あなたは誰なのですか」ということが問われているのです。それに対して主イエスは、「来なさい、そうすれば分かる」(39節)とおっしゃいます。これは直訳すれば、「来なさい。そして見なさい。」ということです。ちゃんと見れば分かるということです。

◇アンデレは兄弟シモンに会った時、まず彼をイエスのところに連れて行きます。その時の彼の言葉は、「わたしたちはメシアに出会った」という一言です。とにかく見に来なさい、というわけです。また、主イエスに出会ったフィリポはナタナエルに出会ってこう言います、「わたしたちは、モーセが律法に記し、預言者たちも書いている方に出会った。それはナザレの人で、ヨセフの子イエスだ」(45節)。「ナザレから何か良いものが出るだろうか」といぶかるナタナエルに対してフィリポは呼びかけます、「来て、見なさい」と。

◇こうして「来て、見なさい」という言葉に導かれて来て見たわたしたちは、実はすでに主から訪ねられていて、見られていた自分、主の深い顧みの中に置かれていた自分を知らされます。自分が主を捕らえようとする先に、捕らえられていた自分を知らされます。そしてそのことを受け入れて歩み始めるなら、ますます深く主の恵みを味わい知る人生が待っているのです。そしてわたしたちは、主に従う人生こそ、自分が歩むべき本当の、真の人生であることを、知るのです。
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