礼拝説教


2011/11/27 <待降節第1主日>

「夜明けを待つ」

棚村惠子先生(東京女子大学)

ローマ書13:11~14


◇詩編130の詩人は,イスラエルをすべての罪から贖ってくださる主を待ち望む。夜の闇の中で一晩中寝ずの番をする見張りが朝を待つのにまさって詩人の魂は切実な思いを持って罪の赦しを与えてくださる主の到来を待つ。待降節は主の到来を待ち望む季節であり,教会暦での一年が始まる。それは古い年に生きつつ新しい年を始めることを意味している。大震災のあった今年は特に苦悩に満ちていた。深い嘆きの底から、私たちは神に憐れみと赦しを求め呼びかけている。

◇イザヤ書8章には紀元前8世紀の状況が「地を見渡せば,見よ,苦悩と闇,暗黒と苦悩,暗闇と追放」と描写されている。しかし「平和の君」と唱えられる男子の誕生の預言もある。マタイ福音書の冒頭の系図は神の民の成功と失敗の長い歴史だが,それを14代×3と表すことで神のご計画の成就として時満ちてマリアより主イエスが生まれたことを強調する。人間の混乱は神の摂理によって意味が与えられる。

◇2千年を経てなお世界は闇に覆われ人間の悲惨は変わらない。しかしキリストはすでに暗い世界に確かに到来され,罪を贖われた。キリストによる新しい時代が始まっている。だからこそ再臨と完成の未来へと希望が与えられている。

◇パウロはローマ書13:11でキリスト者の覚醒を促す。夜が更け朝が近いという「時の感覚」を持つ信仰者は,たとえ世の中が暗くとも,すでに夜明けに向かって闇の業(酒・性・争いにまつわる逸脱)を捨て,信仰・希望・愛という神から与えられた光の武具で武装する。そして品位をもった昼の歩みを始めることこそ再臨を待つ生き方となる。

◇キリスト者はキリストの尊い贖いの恵みに与ったのだから,もはやこの世に倣った肉の欲を満たす生活はしえないし,してはならない。キリストという衣を着て夜明けを待つ者であるが,それは互いに愛し合い,仕事に励み,品位をもって歩むあり方だ。教会はキリストというユニフォームを着て,すでに来られた主に感謝し,今います主を礼拝し,愛の業に励みつつ来るべき主を待つ。

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