礼拝説教


2011/9/11 <聖霊降臨節第14主日・青年伝道礼拝>

「自分を見つけた人」

洛雲海(ナグネ)先生 (韓国ソウル・セムナン教会・牧師)

マルコ福音書5:1~20


◇主が船で渡って行った先は、豚を飼う異邦人ゲラサ人の地。そこで主イエスを迎えたのは「2:汚れた霊に取りつかれた人」だった。墓場に住む彼の体は傷だらけ。自分でも自分を制御できず、心も体もボロボロだった。名を尋ねると「レギオン、大勢だから」。ローマの6千人の軍団を指す用語だ。自分の中に大勢の人格が混在する多重人格と言えよう。この男は「6:イエスを遠くから見ると、走り寄ってひれ伏し」、「7:かまわないでくれ。後生だから、苦しめないでほしい」と叫んだ。イエスが、「8:汚れた霊、この人から出て行け」と言われたからだ。

◇彼を支配する6千の霊たちの願いは、「構わないでくれ」から「10:自分たちをこの地方から追い出さない」でくれと変化する。「この人から」ではなく「この地方から」。異邦人=真の神を信じない人々の地は、悪霊の居場所だった。そこへイエスが乗り込んできたのだ。次の願いは「豚に乗りうつさせてほしい」。イエスはこれをゆるし、2000匹の豚が湖へ飛び込んで死んだ。主は一人の人が救われるために豚2000匹が破滅することを辞さなかった。

◇悪霊に取りつかれていた者が正気になったのを見て、人々は目を疑った。キリストの御前に大人しく座っているあの男。しかし彼らにはその姿こそ狂気と見えたかも知れない。世の誉れのみを欲する人は主の御前に座らない。人々にとってレギオンは忌まわしい存在だった。彼より豚の方がずっと大事だ。そんな男が無条件で救われることを喜ばない。その救いをもたらす者を追い出す。イエスに「17:出て行ってもらいたい」と言う。

◇イエスはこの男の苦しみをいやすために湖を渡ってきた。そしてまた船に乗って帰って行った。レギオンは主によってレギオンでなくなり、本当の自分を見つけた(アイデンティファイした)。イエスは彼をそのようにするために渡ってこられた。

◇多くの人が神以外のものに支配されて苦しんでいる。しかしその苦しみは、イエスに出会えば必ず喜びに変わる。キリストは世すべての人を救うために天から来て、天へ帰って行かれた。私たちも今、苦しんでいる友のところへ渡っていこう。
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