礼拝説教


2011/8/14 <聖霊降臨節第10主日>

       「信じる決断、従う覚悟」

牧師 大村 栄

ルカ福音書9:51~62


◇主イエスの「エルサレムへの旅」、すなわち十字架への道を歩む旅が始まる部分。旅支度を整えるためか、一行はサマリアの村に入っていった。しかし「53:村人はイエスを歓迎しなかった」。弟子たちは怒って、「54:彼らを焼き滅ぼしましょうか」と提案するが、主イエスは黙って立ち去る。

◇次に3人の弟子志願者が登場。第一の人は「57:あなたがおいでになる所なら、どこへでも従って参ります」と積極的に言うが、主は応えて「58:狐には穴があり、空の鳥には巣がある。だが、人の子には枕する所もない」と言われる。これは拒絶の言葉である。お前は十字架への道を歩む私に、本気で付いて来る覚悟があるのかと言われるのだろう。

◇続いて第二の人に「59:『わたしに従いなさい』と言われたが、その人は、『主よ、まず、父を葬りに行かせてください』と言った」。彼は主イエスの招きを父親の葬りのために拒否する。すると主は、「60:死んでいる者たちに、自分たちの死者を葬らせなさい。あなたは行って、神の国を言い広めなさい」と、拒絶する彼をなおも強く招かれる。

◇第三の人も家族を思って躊躇している。「61:主よ、あなたに従います。しかし、まず家族にいとまごいに行かせてください」。ところがその人には、「62:鋤に手をかけてから後ろを顧みる者は、神の国にふさわしくない」と言って、後ろ髪を引かれているなら来なくて良いと拒否の宣告をされた。誰が招かれ、誰が拒否されるか、それは人間の計画や予想では計り知れない、神の選びの出来事だ。

◇第二と第三の人は、身内の用事を主に従えない理由にした。肉親の関係は生まれながらの自然発生的な関係であり、それを尊ぶのは自然だが、他者である主に従うのは決断を伴う。「信じる決断」と「従う覚悟」をもって、神への忠誠を全うしたいと思う。

◇「62:鋤に手をかけてから後ろを顧みる」ような躊躇やためらいが繰り返しわき起こる私たちだが、せめて十字架への道を歩まれる主イエスを、サマリアの村人たちのように拒絶しないでいたい。心の中心に迎えて「主よ」と慕い続けたいものである。

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