礼拝説教


2011/7/17 <聖霊降臨節第6主日>

       「信仰:見えないことを見る想像力」

協力牧師 中野 実

ヘブライ人への手紙11:1~3


◇ヘブライ書によると、信仰は「望んでいる事柄の確信」であり、「見えない事実の確認」である。現在、日本社会は東日本大震災以後の「復興」の時を歩んでいる。しかし将来は見えない事だらけである。そのような中で、信仰は見えないものを見る、神様から与えられた想像力として生き生きと働く。

◇「望んでいる事柄の確信」の「確信」にあたる語は、「ヒュポスタシス」というギリシャ語である。語源にさかのぼると、何かの下にあって、その上のものを支える「土台」、「基礎」という意味になる。ヘブライ書によれば、確かな土台があることをしっかりと見、確認する力が信仰である。

◇我々の土台は、もちろん天地の創り主である神である。御子イエス・キリストを与えてくださった神御自身が我々の土台となってくださる。しかし神が土台だというのは、考えようによっては奇妙な話かもしれない。神は天におられる。天の神が我々の土台だということは、我々が踏みつけている足元の地面に神がなってくださったという事である。足の下にあって、最も低いところからしっかりと我々を支えるために、神は御子イエスを我々にお遣わしになった。御子イエス・キリストは、世界で最も惨めで苦しい死(十字架)を遂げられた方である。それはこの世界にどんな悲しみ、苦しみがあろうとも、神が最も低い所から我々を支えてくださるためである。

◇このような最も低い所からすべてを見直す信仰の視点に基づくと、世界は新しく見えてくる(11:3参照)。聖書の信仰は現実から目をそらす、現実逃避ではない。信仰は目に見えない別の空想の世界を見ることではなく、目に見えるありのままの(それこそ問題、課題に満ちた)世界を新しく見直す事にほかならない。

◇「この世界はどう見ても、希望もなく、偽りに満ちている」と多くの人々は言うかもしれない。しかしその現実を信仰者は与えられている想像力をもって新しく見直す。この世界のまことの土台である神の御心に従ってそれを見直し、それを新しく創り変えようとされる神の御業の中へと大胆に参与していく。それが我々キリスト者の使命である。

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