礼拝説教


2011/7/3 <聖霊降臨節第4主日>

       「敗者復活の望み」

牧師 大村 栄

使徒言行録4:1~12


◇ペトロとヨハネは神殿の「美しい門」で足の不自由な男を癒したことによって逮捕され、法廷に立たされた。「お前たちは、だれの名によってああいうことをしたのか」(4:7)との尋問に対し、ペトロは、彼の癒しは「あなたがたが十字架につけて殺し、神が死者の中から復活させられたあのナザレの人、イエス・キリストの名によるものです。この方こそ、『あなたがた家を建てる者に捨てられたが、隅の親石となった石』です。ほかのだれによっても、救いは得られません」(4:10-11)と宣言する。人間が拒絶し、しかし神によって復活されられたキリストにおいてこそ癒しが実現し、救いが実現するのだ。

◇6月24日(金)は、私たちの日本基督教団の創立70周年記念日だった。70年前に合同する以前の日本のキリスト教は、海外から来た宣教師たちの教派ごとに分立していた。しかし日本の伝道には教派間の協力が必要であり、合同に向けて試行錯誤を繰り返していたところへ、降って湧いたように政府の指導による合同がなされた。しかしこれは戦争への備えをしていた国家が、宗教団体法により国内の思想宗教を統制するという政策の一環であり、戦時中の教団は、国の動きに迎合して戦争への道を共に歩んだ。

◇やがて敗戦によって新しい時代が始まった時、多くの教会が元の教派に戻っていったが、メソジスト教会を始め、教団に踏み止まる教派もあった。それは国家の要請によって実現した合同の背後に、神の摂理があったと信ずる信仰からだ。かつて国家の統制によって合同させられ、教団自身がそれに甘んじたのは、キリストを捨てるに等しい暴挙であったと言えよう。しかし神はそのように捨てられ、十字架に付けられたキリストをよみがえらせ、これを「隅の親石」として、そこに新しい時代の土台を据えられた。「敗者復活の望み」がここにある。

◇今日本は、国家の統制による抑圧ではなく、自然の猛威による大規模災害と直面している。しかし神は必ずやこの戦いにも共にいて下さり、「死者の中から復活させられたあのナザレの人、イエス・キリストの名による」救いをもたらして下さる。私たちはその「敗者復活の望み」の生き証人なのである。

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