礼拝説教


2011/5/29 <復活節第6主日>

       「神の国に仕える者」

牧師 大村  栄

ルカ福音書7:1~10


◇カファルナウムに駐留するローマの軍人である百人隊長は、主イエスに深い信頼を抱き、自分の僕の重病をいやしてもらえると信じた。しかしイエスがその家の近くまで来た時、使いが来て百人隊長の言葉を取り次ぐ、「6:主よ、御足労には及びません。わたしはあなたを自分の屋根の下にお迎えできるような者ではありません」。ユダヤ人が異邦人との交わりを嫌うことを彼は知っているのだ。

◇しかしただ「7:ひと言おっしゃってください。そして、わたしの僕をいやしてください」。わざわざ来ていただかなくても、あなたのお言葉によって僕は癒されると確信している。さらに「8:わたしも権威の下に置かれている者ですが、わたしの下には兵隊がおり、一人に『行け』と言えば行きますし、他の一人に『来い』と言えば来ます」。これを聞いて主イエスは彼を高く評価した。それはなぜか。

◇軍人は権威に服従し、国家に忠誠を尽くす。そういう職業倫理が、イエスの属する神の国、その権威に仕えるイエスの本質を鋭く見抜いたのである。私はローマ帝国の権威の下にあるが、あなたは人間の国ではなく、神の国の権威の下にある。私が皇帝の権威で命じれば100人の部下は従うが、あなたは世界のすべてを従わせられる。ですから私の僕の病に「出て行け」と命じて下さい。そうして頂ければ必ず癒されます。彼はそう信じたのである。

◇百人隊長は、国家の権威に対する絶対服従の精神をたたき込まれてきた軍人だからこそ、主イエスとその弟子たちの姿に、ローマ帝国よりもっと大きな国に忠誠を誓って、命がけで闘っている者としての崇高な姿を見とったのではないだろうか。

◇幕末の政権争いで、薩長土肥の「勝ち組」に対して「負け組」となった幕臣や、青森、仙台、会津などの諸藩出身者から本多庸一、井深梶之助、平岩愃保、植村正久、高木壬太郎、内村鑑三などが出て、日本のキリスト教の基礎を築いた。地上における立身出世の道は絶たれたが、それにまさる道として「神の国に仕える」道を生きた者たちだったのである。私たちも、地上の移ろいゆく権威に頼るのではなく、とこしえに変わらざるものに従うことを志したい。

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