礼拝説教


2011/4/24 <復活節礼拝>

       「よみがえりを信ず」

牧師 大村  栄

ルカ福音書24:1~12


◇女たちは.日曜の朝、日が登るやいなや墓に駆け付けたが、そこに主イエスの体はなく、み使いの「5:なぜ、生きておられる方を死者の中に捜すのか」という驚くべき言葉を聞く。主イエスは墓におられない。「生きておられる方」なのである。「キリストが復活しなかったのなら、あなたがたの信仰はむなしく、あなたがたは今もなお罪の中にあることになります」(Ⅰコリント15:17)。

◇キリストが死んだのは、私たちの受けるべき死というさばきを身代りに受けて、私たちを罪から解放し、同時に罪の結果である死に打ち勝ち、私たちを死の恐怖から解放するためだった。だから死はもはや恐怖でも呪いでもなく、むしろ永遠の神の国を継ぐための勝利の凱旋である。

◇罪の結果である死からの解放は、困難に直面する時にも、人に未来への希望を与える。どんな思想や哲学にこれほどの力があるだろうか。人間を造り変えるのは、人間を造った神の力よりほかない。「神は豊かな憐れみにより、わたしたちを新たに生れさせ、死者の中からのイエス・キリストの復活によって、生き生きとした希望を与えて下さった」(Ⅰペトロ 1:3)。この希望によってこそ、人はいかなる挫折や失望の火炎の中からも、不死鳥のように立ち上がることが可能になった。

◇東日本大震災によって、日本は深い失望の中にある。しかし教会は今こそキリストの復活による「生き生きとした希望」を発信するものでありたい。復活を記念する日曜日毎に、私たちはその希望を新たにする。日曜日の礼拝は音楽会や講演会の類ではなく、私たちが「イエス・キリストの復活によって、生き生きとした希望」を得る時と場所だ。

◇この尊い礼拝の場所を取り戻すために、被災地で教会が再建してほしい。教会の再建は、そこにおいて礼拝が再開され、復活のイエス・キリストによる「生き生きとした希望」を生きる人々がそこから生み出され、それによって地域が新しくされていく、そういう事実の実現である。そしてそれはすでに起こっている。キリストは「生きておられる」。そして神は生きておられる!

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