礼拝説教


2011/4/17 <棕櫚の主日>

       「主がお入り用なのです」

牧師 大村  栄

ルカ福音書19:28~40


◇子ろばに乗ってエルサレムに入城された主イエスに向かって歓声が上がった。「38:主の名によって来られる方、王に、祝福があるように。天には平和、いと高きところには栄光」。他の福音書では「ホサナ」(詩編118:25)の声が上がったとあるが、ルカではその代わりに、キリスト降誕の時にベツレヘムの野原で羊飼いたちに現れた天使たちが口にしたのと近い賛美が歌われている。ただし誕生の時には、「天に栄光、地に平和」(Lk2:14)だったが、ここでは「天に平和、天に栄光」と、栄光も平和も天にあれと歌っている。

◇キリストと共に、天の平和が地に注がれたクリスマス。その平和が、これからキリストが体験する十字架と復活、そして昇天によって天に満ちるのだ。私たちはその天を目当てに生きることが出来るようになった。たとえ地上の平和に破れても、天において真の栄光と平和を得る希望がある。

◇私は12日(火)~14日(木)に東北の仙台と石巻を訪ね、震災と津波の被災地に立った。3万人近くの亡くなった方たちと行方不明者が、天国を信じる信仰を持たなかったとしても、神のみ手の中に平安を得ておられると信じずにおれなかった。

◇私たちキリスト者は、生前に地上の命の先に希望があることを確信して生き、そして死ぬ者たちだ。地上には真の憩いと平和はないことを知り、神の内にある平安に心を上げるのが私たちの信仰だ。その信仰によって死後への希望が与えられるだけでなく、地上の生活を超えて目標とすべき未来への希望が与えられる。そのことを示すために来られ、天に帰った主イエス・キリストに、身も心も委ねて生きるのがキリスト者の生涯である。

◇使徒パウロはその事を、「わたしはイエスの焼き印を身に受けている」(ガラテヤ6:17)と言う。「焼き印」は英語ではブランド。私たちには地上のあらゆるブランドにまさる「キリストの印」を身におびている。それは永遠に残るものである。私たちはキリストに属するものであり、目指すべき究極の平和と栄光は天にあると確信し、それによって地上の日々を豊かに過ごす者でありたい。

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