礼拝説教


2011/2/20 <降誕節第9主日礼拝>

       「自分の分別には頼らず」

牧師 大村  栄

箴言3:1~12


◇「5:心を尽くして主に信頼し、自分の分別には頼らず、常に主を覚えてあなたの道を歩け。6:そうすれば、主はあなたの道筋をまっすぐにしてくださる」。「分別」とは人間的な経験や学習による知識や、直感的なひらめきなど。それらは神の尊い賜物ではあるが、過度にそれに頼るなと言う。「頼る」は「もたれかかる」の意味。自分の判断に過度に依存せず、常に主を畏れ、信頼して歩くならば、「主はあなたの道筋をまっすぐにしてくださる」。

◇ごう慢な者には、「7:自分自身を知恵ある者と見るな。主を畏れ、悪を避けよ」と命ずる。「8:そうすれば、あなたの筋肉は柔軟になり、あなたの骨は潤されるであろう」。表面をとりつくろうより、内側(筋肉や骨)を整えることが大事だ。そのためには信仰(信頼)と、それによる謙遜が不可欠である。

◇「10:そうすれば、主はあなたの倉に穀物を満たし、搾り場に新しい酒を溢れさせてくださる」。信仰により、目に見える豊かさも約束されると言う。「そうすれば」が5回も繰り返される。信仰は報酬を期待するものだったのか。そうではないはずだ。最後の11-12節でもっと違う方法で主が恵まれると語る。それは「懲らしめ」という方法である。

◇「11:わが子よ、主の諭しを拒むな。主の懲らしめを避けるな。12:かわいい息子を懲らしめる父のように、主は愛する者を懲らしめられる」。「愛する者を懲らしめる」のだとすれば、「懲らしめ」は神の愛のしるしである。だからそれを拒むな、避けるな。「主は愛する者を鍛え、子として受け入れる者を皆、鞭打たれる」(ヘブライ書12:6)。

◇そのことの実証を私たちは新約聖書に見る。神の子イエス・キリストのご受難の姿においてである。 この方こそが、「5:心を尽くして主に信頼し、自分の分別には頼らず、6:常に主を覚えて」謙虚に自分の道を歩んだ方だった。それゆえに父なる神は、この方の歩く「道筋をまっすぐに」して下さった。そしてこの方、主イエス・キリストは、その道を私たちにも歩かせて下さる。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない」(ヨハネ14:6)。

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