礼拝説教


2011/1/16 <降誕節第4主日>(特別伝道礼拝)

       「霊性再生!」

加藤 常昭先生(特別伝道礼拝)

イザヤ66:1~2、ローマ8:1~17    


◇ 平岩愃保牧師が「本心堅く立ち」という文章を残している(加藤常昭・大塚野百合編『愛と自由のことば』所収)。神を心から畏れ敬う正直な心がないと人間の本心は立たない。本心というのは、神様の前に、正直に生きることができる心である。植村正久はこれを「霊性」という言葉で言い表した。

◇大村勇牧師の説教の中で印象深い話がある(『輝く明けの明星』所収)。カナダでの万国博覧会に参加した時、キリスト教館主催で「八日目」という題の映画が上映されていた。八日目とは、主イエスがおよみがえりになった日のことを意味し、ヒロシマや虐殺といった絶望を超えて「八日目」に生きることが希望であることを強調していた映画だった。私達も八日目を既に生きている、主イエスと共に。

◇「神の霊があなたがたのうちに宿っている限りあ なたがたは肉ではなく霊の支配下にいます」(9節)私たちは霊の中に既に生きている。その霊とは何か。「イエスを死者の中から復活させた方の霊です」(11節)私たちは復活の霊によって既に支配されている。復活のいのちの霊が、私の中に生き、私を支配していてくださる。洗礼を受けるとは、この復活のいのちの霊を受けることである。

◇「あなたがたは、人を奴隷として再び恐れに陥れ る霊ではなく、神の子とする霊を受けたのです」(15節)私達は、よみがえりのいのちを生きておられる主イエスと同じ神の子とされている。神の子の霊性に生かされているものは「『アッバ、父よ』と呼ぶ」(15節)。「アッバ」とは祈りの言葉。「アーメン」や「マラナタ」と同じく礼拝で唱えられていた祈りの言葉。また、主イエスが十字架の苦難の前に祈った言葉(マルコ14:36)であり、この言葉を祈る時、私が奴隷のように戦々恐々と神を恐れ人を恐れて生きるのではなく、主イエスが私を解き放つため、「命と平和に」(6節)生きるために苦しみ、死なれたことを思い起こす恵みの言葉である。

◇洗礼を受けることは、神の子の仲間になること、本心が立つこと、八日目のいのちを生きることである。あなたもぜひ、一日も早く、この洗礼の仲間に加わっていただきたい。

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